不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか

鴻上尚史「不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか」

陸軍の最初の特攻隊「万朶隊」の隊員で、9回出撃し、通常攻撃や機体の故障などで9回とも生きて帰ってきた佐々木友次氏の記録。亡くなる2カ月前までの貴重な証言が収められている。

海軍の敷島隊などに続いて陸軍で編成された万朶隊は、1944年11月からレイテ湾に繰り返し出撃した。失敗の許されない第1陣としてベテランが集められたが、プライドを持った操縦士にとって、爆撃ではなく体当たりを命じられるのは、それまでの訓練を否定されることでもあった。当初用意された機体は爆弾が投下できないように設計されていたが、闇雲な特攻を防ぎ、敵船の破壊を優先するため、隊長が上層部に無断で改造を施して投下装置を付けさせていた。

しかし、敵船を攻撃して生きて帰った特攻隊員を待つのは賞賛ではなく、叱責だった。既に戦死と戦果が大々的に発表されており、上官からの命令は、天皇への報告と辻褄を合わせるため、死なせることが第一目的となっていく。硬直化した組織で、手段と目的は転倒してしまう。

死んでこいと繰り返し言われながら、なぜ生き延びることを諦めなかったのか、なぜ自暴自棄にならなかったのか。著者の度重なる質問に対し、佐々木氏は迷いつつ「寿命」と答える。生き残ることができるという予感があったのだと。死を命令されながらも、敵船の破壊という本来の目的に向けて自ら考えて行動した元特攻兵の姿からは、志願して死んでいった心優しき若き“軍神”たちのイメージとは違う、人間らしい青年の姿が浮かび上がる。

著者が書いているように、特攻を過ちだったと否定すると、「命令した側」への批判を「命令された側」への批判と混同し、死者に対する冒瀆だと怒る人がいる。しかし、死を悼むことと、死の責任とその手段の是非を問うことは、明確に分けて考えられなければならない。

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