ルトガー・ブレグマン著、野中香方子訳「Humankind 希望の歴史 人類が善き未来をつくるための18章」
人間は本質的に善良か、野蛮か。利己的か、利他的か。人間が信じるに足るものかどうかは、古来さまざまな分野で議論の対象になってきたが、近代社会はホッブズに代表されるような性悪説に基づいて構築されてきた。法や権力者の支配がなくては、人間社会は「万人の万人に対する闘争」に陥ってしまう――。そうした考え方は多くの人の心に根付いている。
しかし、著者は「ほとんどの人は本質的にかなり善良だ」と言い切る。人間の残酷さの証明とされるスタンフォードの監獄実験や、ミルグラムの服従実験などの欺瞞を暴き、人類がいかに協調性に富み、利他行為を厭わず、同胞を傷つけることに抵抗を覚える種かということを証拠とともに浮かび上がらせていく。その筆の運びはスリリングだ。
いやいやいや…じゃあ戦争は?と突っ込まれそうだが、戦争を生み出した文明化(定住・私有財産)は長い人類の歴史の中ではごく最近のことであり、戦争がいかに人間の本能に逆らう行為であるかを著者は明らかにする。(過去の戦場で実際に発砲することができた兵士がごく少数ということは、D.グロスマン『「人殺し」の心理学』などの本でも指摘されている。驚くべきことに、人は他者を傷つけるより、傷つけられる方が抵抗感がないようだ)
著者は、人間の進化は「フレンドリーな人ほど生き残りやすい」という仕組みの上に成り立っていたと指摘する。野生の獣が交配を重ねて家畜化されていったように、人類は自らを飼いならし、穏やかになる方向へと進化していったのだ。
災害時や緊急時は、暴動や略奪行為ばかりが注目されるが、古来ほとんどの人は互いに助け合い、難局を乗り越えようとしてきた。ネアンデルタール人より身体的にも知能的にも劣っていた現生人類が氷河期を生き延びたのは、その協調性故なのだ。
一方で、高度に発達した協調性は、定住化・私有財産制のもとで同調圧力となり、共感する能力は「敵」を作り出す能力にもなってしまった。著者は「共感」ではなく「思いやり」こそが重要だと述べ、下巻では、各地での先進的な取り組みを取り上げ、人間の善良さを前提とした社会の可能性を考察していく。
人も社会も、一人一人がそうであると信じたほうへと変わっていく。性悪説を信じる人は他者に対して悪意と疑念を持って接し、世界はより性悪説に近づいていく。ならばまず他者を信じることから始めなくてはならない。