安丸良夫「神々の明治維新 ―神仏分離と廃仏毀釈」
明治新政府が進めた神仏分離政策は日本人の信仰を大きく歪めたはずなのに、それについてまとめた書物は少ない。日本史の授業でもほとんど習わない。それぞれの寺社にとっても誇れる歴史では無いから語られずに来たのだろう。廃仏毀釈の嵐も今となっては全体像を掴むのは困難となっている。
神仏分離政策では、神と仏を分けるだけではなく、新たな信仰の体系を作ることこそが急務とされた。
それまで村々の小さな神社では仏像や塞の神などが祀られていることも多かったが、これらは別の神体に変えられていった。多様な神仏の中から産土神だけが浮上して他を抑え、その中でも皇祖皇統に連なる神を頂点とする構造が整備され、今の神社の様式が確立された。
八百万の神と仏教、民俗が混淆した信仰は破壊され、特に修験道などは大きな影響を受けた。仏教に近かった出羽三山や秋葉山もかつてとは大きく姿を変えた。
一方で仏教側も体制に入り込み、真宗などの活動もあって、国家神道=「非宗教」と、仏教を含む「宗教」の共存という現在にも通じる形に落ち着いていくが、それは明治以前の信仰とは大きく異なったものになってしまった。