新田次郎「孤高の人」上・下
日本の単独登山の先駆け、加藤文太郎(1905-1936)。本人の遺稿集「単独行」は読んだことがあるが、彼をモデルとしたこの作品は初読。加藤は実名で描かれているが、新田次郎の創作色が強い。
加藤は富裕層の娯楽だった当時の登山界に、庶民の社会人登山家として入り、数々の金字塔を打ち立てた。当然そこには多くのやっかみや偏見が生まれた。「単独行」には「臆病だからこそ単独行者になった」と書かれていて強く共感した覚えがあるが、この上巻でも人と交わるのが苦手で、結果的に単独行を続けていく加藤の姿が描かれている。行く先々の山小屋で白い目で見られる場面など、読んでいるこちらも針のむしろに座らされているよう。
続く下巻では、結婚して家庭に幸せを見つけた加藤文太郎の姿と、最後の槍ヶ岳・冬季北鎌尾根山行で徐々に逃げ場がなくなっていく場面の落差が凄まじい。加藤は愛する妻を得て、山に行く積極的な理由が自分にはないことに気づく。彼は山を求めていたのではなく、実は居場所を探していただけなのかもしれない。自らを慕う後輩に誘われ、生後間もない娘を残し、初めてパーティーを組んで山へ。一人なら決して誤ることの無かった判断の迷いを重ねて死に追い込まれて行く過程は、山岳小説に限らず日本文学屈指の死の場面だろう(ここは特にフィクションの色が強く、同行者の名誉を考えると単純に評価して良いかは複雑だけど)。
加藤文太郎。今となっては山に行く人でもあまり馴染みの無い名前かもしれないが、遭難当時の新聞を見たら、まだ登山が大衆化する前の出来事にもかかわらず「国宝的山の猛者、槍で遭難」「この悲報!」と大きく取り上げられていたので、よく知られたヒーローだったのだろう。生きて戦後を迎えていたら、どんな歴史を刻んだのだろうか。