言壺

神林長平「言壺」

SFというと、クラークの「幼年期の終わり」や、ホーガンの「星を継ぐもの」、ハクスリーの「すばらしい新世界」、オーウェルの「1984」など、何となく宇宙や文明を描くものと思いがちだが、言語や認識を題材とした“言語SF”と呼ばれるジャンルがある。中には伊藤計劃の「虐殺器官」のようにそれらが高度に組み合わさった作品もある。

95年の日本SF大賞を受賞した「言壺」は、文章の執筆を支援する人工知能が搭載された「ワーカム」という機械が普及した社会における言葉のあり方を描く。ワーカムは書き手の思考まで学習し、「こう書きたいだろう」という文章を提示する。強力な校閲機能で論理矛盾や事実関係の誤りは勝手に訂正してしまう。人間同士のコミュニケーションもワーカムを媒介として行われるようになる。

思考が言語を操るのではなく、言語が思考を規定する。今でこそ目新しくない視点ではあるが、その言語と人間の関係を9編の連作短編で多面的に描いている。言語の体系が何かの要因で変質すれば、それと結びついた人間も不可逆的に変わってしまう。

90年代の前半の執筆であるということを考えればかなり先駆的な作品。ただ現実が一部でSFを追い越した21世紀の今読むと、SF的意匠に古さを感じる部分もある。今なら、同じような内容をSF的設定を用いなくても書けるかもしれない。それはつまり現実が作品に追いついたということでもあるけど。

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