平家物語 池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09

池澤夏樹=個人編集 日本文学全集09
古川日出男訳「平家物語」

祇園精舎の鐘の声/諸行無常の響きあり/沙羅双樹の花の色/盛者必衰の理をあらはす

冒頭の文章は誰でも知っているのに、ちゃんと平家物語を読み通したことがある人は少ないのでは。古川日出男は壮大な軍記物語を、現代の小説の文体を取らず、あくまで琵琶法師の語りとして現代に蘇らせた。

「祇園精舎の鐘の音を聞いてごらんなさい。ほら、お釈迦様が尊い教えを説かれた遠い昔の天竺のお寺の、その鐘の音を耳にしたのだと想ってごらんなさい。
諸行無常、あらゆる存在(もの)は形をとどめないのだよと告げる響きがございますから」


「それから沙羅双樹の花の色を見てごらんなさい。ほら、お釈迦様がこの世を去りなさるのに立ち会って、悲しみのあまりに白い花を咲かせた樹々の、その彩りを目にしたのだと想い描いてごらんなさい。
盛者必衰、いまが得意の絶頂にある誰であろうと必ずや衰え、消え入るのだよとの道理が覚(さと)れるのございますから」

「ああ、儚い、儚い」

要約するなら、そこに描かれているのは「平家の栄華と滅亡」だが、この説明では物語の本質は何も伝えていない。虚実入り交じった無数の挿話が挟まれ、把握するのが困難なほどの人物名の羅列は、読み通すのに非常に体力がいる。

通読して驚いたのが、登場人物が皆とても人間くさく描かれているということ。命乞いをして騙し討ちする者(越中前司最期)もいれば、敵の若武者に息子の面影を重ねて討てなくなってしまう武将(敦盛最期)もいる。“武士道”は明治以後に作られた幻想とは言え、これらの人物像は現代の物語と何も変わらない。俊寬僧都の姿も、歌舞伎や人形浄瑠璃とは大きく異なり、ずいぶんと弱く、みっともなく描かれている。

そしてこれら無数の人物が、次々と死んでいく。社会の変化も、人の運命も、とどまることを知らない。一人一人の人間には無数の物語がある。しかし時の流れはそんなことを気にもとめない。

ガルシア・マルケスの「百年の孤独」は二十世紀後半の文学界に強烈なインパクトを与えた。その700年前、平家物語は史実や説話に立脚して似たような世界観を描いていた。違うのは「百年の孤独」は一人の卓越した作者によって紡がれた物語であるのに対し、平家物語は無数の語りが混淆したものであるということか。「百年の孤独」の主人公はマコンド(土地)だろうが、一つの視点に従属しない平家物語にはそれすら無い。

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