西南戦争を体験した古老の話の聞き書き。「苦海浄土」と並ぶ著者の代表作とされながら、絶版で全集以外では手に入りにくかった作品だが、追悼か、大河ドラマ効果か、講談社文芸文庫から再刊された。ノンフィクションというよりは、巫女に喩えられることもある偉大な作家が語り直した文学作品といった方がふさわしい。
西南戦争と言えば教科書の中の出来事であり、同時に、中央の歴史観から辺境における反乱として扱われてきたこともあって、どこか遠い世界のことのような気がしていた。
著者がこの作品に取り掛かった60年代は「ご一新」からちょうど一世紀。近代最初の100年を経験した人々がまだ生きていた。教科書の中の歴史には権力者と士族の視点しか書かれないが、他の全ての戦争と同じように、そこには政治とは無縁に暮らす多くの人々がいた。西南役だけでなく、キリシタン弾圧から現代までの土地の記憶を掘り下げ、近代が人々の生活をどう変えたのか、変えなかったのかを浮き彫りにしている。
「苗字のなか者の世がくるちゅうても、お上というものがあるかぎり、取り立てることばっかり。御一新とはどがな世が来るかと心配しとったら、案のごとく人を奪ってゆかいた」
上も下もない世が来るという噂の後、実際に社会は変わったが、新たにやってきたのは中央政府という別の形の“上”だった。
銃声とともに言葉の違う人々が次々と現れる。畑は踏み荒らされ、息子たちが徴発される。戦争は、官軍と賊軍の区別も付かない民にとっては、縮こまって通り過ぎるのを待つ災厄でしかなかった。
「西郷さんと天朝さんと、なしてたたかわしたか、いくさのあったことは知っとったばってん、はて、なんのわけで戦わしたもんだろ、教えてくるる人の居らでな、いっちょも知らん。おどまただただ暗きから暗きまで、鋤もって野に出るばっかりで」
近代権力は、時代を下るとともにその不条理性を増していく。西南役、日清、日露、そして、日中、太平洋戦争。本書で水俣病に言及している箇所はわずかだが、敗戦で崩壊したかに見えた権力が資本主義と結びついてより巨大で不条理なものになっていったのは、「苦海浄土」に書かれているとおりである。