ふとしたことから、高齢化が進む団地で夫と暮らし始めた39歳の女性の日常を綴る。特別なことは何も起こらない。特別な人間も出てこない。人探しという物語の軸はあるものの、そこに劇的な展開はない。
著者の筆は過去と現在を行き来しながら、団地とそこで暮らした人々の記憶を浮かび上がらせる。ひと言声をかわしただけの人物にも、すれ違っただけの人にも、人生があり物語がある。
小説は人生が一度きりであることへの抗議だと綴ったのは北村薫だったろうか。
人生は一度きりで、自分は一人しかいない。でもそれは無限に等しい別の一度きり/一人と結びついて、世界を、歴史を構成している。著者はこれまでも、土地と人の平凡だけど唯一の記憶を小説という形で捉えようとしてきた。
同じような団地が日本中にあり、そこには同じ扉、同じ間取りの部屋が何千何万と軒を連ねている。団地の外から眺めても、一つ一つの棟や部屋の区別はつかない。それでも、そこには一つとして同じ人生はない。