人はしばしば、生きる意味と、何かに属するということを混同し、自分を生きづらさの隘路に追い込んでいく。
中高生は細かく階層化されたグループを形成し、そこからはじき出されることを恐れる。大人になっても、グループが重なり合って複雑化しているだけで、実は思春期と同じことを繰り返している人は多い。
働き始めた主婦と女社長の話、その女社長の学生時代の日々が交互に綴られる。一児の母の小夜子は、ママ友の間で上手く人間関係を築くことができず、快活な女社長の葵に惹かれる。一方、葵の過去では、暗く内向的な葵と、その親友で明朗なナナコの姿が描かれる。
中学でいじめを受けていた葵は、一人でも平気な顔をしてどのグループにも属さないナナコに惹かれていくが、自分も変わり者として仲間はずれにされることを恐れて、クラスメイトの前では決してナナコに話しかけない。
交互に進む物語は、葵の性格がなぜ変わったのかという謎に読者を引きつけつつ、大人になっても人間は同じように人間関係で悩み続けるということを突きつけてくる。
「お友だちがいないと世界が終わる、って感じ、ない? 友達が多い子は明るい子、友達のいない子は暗い子、暗い子はいけない子。そんなふうに、だれかに思いこまされてんだよね」
葵は小夜子にそう語りかける。
「ひとりでいるのがこわくなくなるようなたくさんの友達よりも、ひとりでいてもこわくないと思わせてくれる何かと出会うことのほうが、うんと大事な気が、今になってするんだよね」
もちろん、高校時代の葵がナナコに、主婦の小夜子が葵に救われるというだけの単純な話ではない。葵とナナコの関係には破綻が訪れる。小夜子も葵の過去を知って深入りを恐れ、逃げ出したいと思っていたはずの自らの家庭に逃げ込む。
しかし、苦しみが人間関係の中にあるように、救いもそこにしかない。小夜子は再び葵の前に戻る。
「なんのために歳を重ねたのか。人と関わり合うことが煩わしくなったとき、都合よく生活に逃げこむためだろうか。(中略)小夜子はようやくわかった気がした。なぜ私たちは年齢を重ねるのか。生活に逃げこんでドアを閉めるためじゃない、また出会うためだ。出会うことを選ぶためだ」
人間関係の失敗を繰り返しても、私たちはまた出会うことが出来る。そこできっとまた失敗するだろう。いつかはその関係も終わるだろう。でもそれは意味のないことだろうか。
人と関わるのが怖い、生きづらいと感じる全ての人に勧めたい一冊。