すきあらば 前人未踏の洞窟探検 洞窟ばか

吉田勝次「洞窟ばか」

洞窟はやったことがないけど、むちゃくちゃ楽しそうだ。著者の洞窟愛に、読みつつ、くらくらしてしまう。自分は何をしているのか、本当にしたいことをして生きているのか、と。

少し前まで「探検」や「冒険」はもはや存在しないと思っていた。地理的な空白部は20世紀までにほぼ埋め尽くされ、21世紀の今、Google Earthで見ることができない土地は無いし、費用と時間さえあればどこにだって辿り着ける。と、思っていた。

しかし、ここ数年の間に読んだ優れたルポは現代にも探検が成立するということを鮮やかに示してくれた。

高野秀行の一連の著作は、人間のいる土地こそが最もスリリングな探検の地であることを教えてくれるし、角幡唯介の「空白の五マイル」や「雪男は向こうからやって来た」は、私的な冒険には幾らでも語るべきものが残されていると示してくれた。宮城公博の「外道クライマー」では、名だたる高峰や極地が全て征服された現代でも、そこに至る過程にはまだ人間が見たことの無い景色が無限にあるという事実に興奮させられた。

そしてこの「洞窟ばか」。

洞窟は本当に未知の領域だ。山は未踏峰であっても山頂の景色は想像できるし、手段を選ばなければ確実に目的地に到達できる。しかし、地底には文字通り先がどうなっているか分からない洞窟が山ほどある。

著者は日本の洞窟探検の第1人者。400mの縦穴をロープ1本で降り、酸素ボンベを背負って地底湖に潜り、這いつくばってわずかな隙間を奥へ奥へと進む。地底では携帯の電波も届かないし、GPSも効かない。狭い隙間で身動きがとれなくなるかもしれないし、暗闇の中で帰り道が分からなくなることもある。怪我をしても誰も救助には来られない。地上の冒険とは全く次元の違う恐怖と、それと引き替えに得られる興奮が地底にはある。

喧嘩に明け暮れていたヤンキー上がりの青年が、洞窟と出会って情熱の全てをそこに傾けるようになった。地質図、地形図とにらめっこして新たな洞窟を探し当て、ガイドを養成し、自身も常に新たな知識を求め、洞窟環境の保護にも取り組む。

洞窟に限らず、一つ一つの出来事や出会いに感動する著者の姿勢が気持ちいい。迷いのブレーキを外してしまったかのように道を切り開いていく楽観的で前向きな情熱に、こちらまで気持ちの良い熱が湧き上がってきた。

  

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