海も暮れきる

吉村昭「海も暮れきる」

「こんなよい月を一人で見て寝る」
「咳をしても一人」

東京帝大を卒業し、大手保険会社のエリートコースを歩みながら、酒におぼれ、仕事を捨て、家族に捨てられ、小豆島の小さな庵で最期を迎えた尾崎放哉。

種田山頭火と並ぶ自由律俳句の大家でありながら、人間的には極めて厄介な人物であったことが知られている。吉村昭によるこの評伝小説では、その不安定な性格が細かく描写されている。タイトルは「障子あけて置く海も暮れきる」から。

冒頭に挙げた句などから世捨て人のようなイメージがあるが、実際の放哉は決して孤高の人物ではない。膨大な手紙を残し、死の直前まで他者との交わりを求めた人物だった。

荻原井泉水ら俳人仲間に手当たり次第に金を無心し、酒を飲んでは人に迷惑をかけ、反省したかと思えば逆恨みし、また酒を手にして孤立していく。自ら孤独を求めて庵に住みながら、そこで精神の安定を得ることができず、他者に甘え、すがりつく。

放哉の人物像の描写とともに、強く印象に残ったのが結核の病勢の描写。病の進行とともに放哉の句は透明感を帯びてくる。

「足のうら洗えば白くなる」
「肉がやせてくる太い骨である」

肺に次いで腸が冒され、喉が冒され、食べることも喋ることもままならなくなっていく。酒を飲んで、海に入って死のうと考えていた放哉は、酒を飲むことも、海まで歩くこともできない絶望の中でただ身を横たえる。寂しい小豆島の冬が過ぎ、待ちに待った春が訪れた時、放哉はもう起き上がることができなくなっていた。

「春の山のうしろから烟が出だした」(辞世)

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