「本当の自分」に囚われることほど、しんどいことはない。著者は「個人」という神話を解体し、人間を複数の人格=分人の集合として捉えることを勧める。
個人(individual)は、神と人間の一対一の関係を重視する一神教の伝統に基づいて西洋が生み出した概念で、社会の構成単位として、それ以上分けられない(in-dividual)存在を指す。
著者は、「個人」という概念が生きづらさを生んでいるのではないかと指摘する。個人の中には固有の内面があると考えられ、そこから「本当の自分」という幻想が生まれる。「本心が見えない」「主体性がない」、あるいは「幾つもの顔を持つ」人に対して世間は否定的だ。
実際には、人は環境や相手によってさまざまな人格を持つ。これは主体的に「使い分けている」のではなく、自然とそうなってしまうと言った方が実感に近い。
人の本質は、内面にあるのではなく、人と人の間、関係に生じる。家族に見せる顔、恋人や友人といる時の態度、仕事に対する姿勢、ネット上での人格。どれも本当の自分であり、その人格を自分が好きか嫌いか、居心地が良いか悪いかの違いがあるだけである。
人間を「本当の自分」と「外向きの顔」を持つ「個人」ではなく、幾つもの「分人」の集合と考える。その前提に立つことで、人付き合い、さらには、自分自身を受け入れることがずっと楽になる。
目からうろこ、というような新しい視点が示されているわけではないが、「分人」という概念を導入することで、漠然と感じていたことが非常に明解になる。