歎異抄

唯円「歎異抄」(川村湊訳)

歎異抄の関西弁訳。正直、読みにくく、元々口語で書かれたものだからといって関西弁にする必然性もあまり感じられない。そもそも、訳の関西弁の質も低い気がする。

歎異抄自体は以前にも読んだことがあるが、改めて触れ、親鸞の「無思想」の強調ぶりや構成の不自然さ、教義と言うより、非常に私的な記録と言えることなど、改めて気づくことも多かった。

高野聖

五来重「高野聖」

勧進を通じて日本仏教の底辺を支えた聖。知識不足で理解しきれない部分も多々あったが、現在は真言密教のイメージしか無い高野山が念仏と浄土信仰の場だったことや、西行の高野聖としての側面(こちらが本質かもしれない)など、教えられる点が多かった一冊。聖地にも、というより、聖地だからこそ、語られなかった歴史が多くある。

現代語訳 般若心経

玄侑宗久「現代語訳 般若心経」

般若心経大本の現代語訳だが、訳というより解説を加えた一つの作品。著者は臨済宗の僧侶だが、現代的な感覚に基づいた説明で理解しやすい良書。

「色不異空」「色即是空」は日本的な感覚でも共感しやすいが、それに続く「空不異色」「空即是色」をどう捉えるか。そこに諦観にとどまらない大乗仏教の核が詰まっているように思う。

ふしぎなキリスト教

橋爪大三郎、大澤真幸「ふしぎなキリスト教」

キリスト教というより、ユダヤ教から始まる一神教入門。

人間中心に世界を見る多神教に対し、人間から完全に隔たった神が中心の一神教。神の意志が捉えられないからこそ続く問いかけ。それこそが信仰で、教祖の言葉が全てとなりやすい新興宗教との大きな違いだろう。
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必生 闘う仏教

佐々井秀嶺「必生 闘う仏教」

インド仏教の先頭に立つ元日本人僧。煩悩も生きる力と言い切り、アウトカーストの解放に尽くす破格の人物。

現代日本の仏教からみれば「闘い」という言葉自体が異質だが、日本でも中世に日蓮や親鸞が出てきた時はこの人のような「闘う仏教」だったのだろう。

ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか

シュロモーサンド「ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか」

“ユダヤ人”の根幹を成す離散を否定する「追放の発明」と題した章が強烈。シオニストは、改宗で各地に増えた「ユダヤ教徒」を聖地を追われた「ユダヤ民族」とすり替え、歴史を創作した。

時の輪

カルロス・カスタネダ「時の輪―古代メキシコのシャーマンたちの生と死と宇宙への思索」

フィクションなのか、ノンフィクションなのかを抜きにしてなかなか面白い。

“あまりに自己に執着しすぎると、ひどい疲れがくる。そのような状況にある人間は、他のすべてのものにたいして、ツンボでメクラになってしまう”
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