異国トーキョー漂流記

高野秀行「異国トーキョー漂流記」

コンゴで幻獣を探し、東南アジアのアヘン栽培村に住み込み、無政府状態のソマリアを旅する。規格外の旅を軽やかな筆で記してきた高野秀行が、日本で知り合った異国からの友人との思い出を綴ったエッセイ集。

BUTOH(舞踏)に憧れ、自分探しの果てに日本にたどり着いたフランス人から、出稼ぎのペルー人、故国を追われたイラク人まで。登場する人々それぞれのエピソードを通じて、東京はトーキョーに姿を変え、日本の生きづらさも、生きやすさも、改めて浮かび上がる。体当たりのルポとは違う味わいのある“世話物”の一冊。

中でも印象深いのが、プロ野球の熱烈なファンである盲目のスーダン人のエピソード。本書(2005年刊)ではマフディという名で登場しているが、本名はモハメド・オマル・アブディン。来日してからの日々を綴った「わが盲想」を2013年に出版している。これも非常に面白い。

もう一つ個人的に印象に残ったのが、大学生時代の著者が日本の外へ関心が向いていった理由について触れられていた箇所。

 “私は「とにかく日本を飛び出さねば……」という思いでいっぱいだった。日本の社会がいやだったからである。といっても、よくあるように、日本の画一的な社会に個性的な自分が会わないというわけではない。
 逆だ。私の体質が日本社会に合いすぎるのだ。
 私は子どもの頃から「まじめだ」「おとなしい」「協調性がある」などと言われて優等生路線を歩み、名門と呼ばれる大学までたどりついたが、自分としてはもううんざりだった。”

 

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