「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」
景気の停滞が続き、国際金融資本の食い物にされる日本。集団不登校となった中学生たちがインターネットを駆使したビジネスを始め、国家から独立した集団に育っていく。
1998年から文藝春秋で連載され、2000年に単行本が刊行された。当時結構話題になった本だが、今回が初読。
作中に時間の流れはあるものの、物語と言うより、ほぼ設定を語り続けているような叙述。刊行当時に読めばその設定だけでもかなり刺激を受けただろうが、20年後の今の時点から読むと現実との違いや非現実的な点が目立つ。ただ、作品の中心にある問題意識は当時より切迫して感じられる。
「希望がない」という中学生の言葉は切実さを増し、作中に登場する官僚のセリフは東日本大震災後の社会をより表しているように感じる。
「非常に均一性の高い社会が長い間にわたって価値観の変化がなく継続している場合、そこでは閉塞化が起こりますよね。(中略)変化というのは基本的に面倒なものですから、変化はあり得ない、と錯覚したほうが楽なわけです。そういう社会が行き着くところまで行くと、何が起こっても驚かなくなります。いやたとえ驚くようなことが発生してもとにかく変化はないのだというショックアブソーバーが働いていますからあらゆる事件はすぐに忘れられるし、社会は一見安定してしまうんです」
日本を捨てた中学生たちが作り出した新たな社会のモデルは、欲望が希薄になった世界の到来を予感させる。そこに希望を抱くか、一種のディストピアを見るかは読者に委ねられる。
この作品が書かれた当時の(楽観的な)未来予想と現実で最も違ったのは、インターネットが人々を繋ぎ、年齢や社会的立場の上下を無効化する方向に働くのではなく、むしろ、人々を分断し、旧来の権力を支え、階層を強化するツールになってしまったことだろう。