1991年、京大学士山岳会と中国登山協会の合同登山隊17人が、未踏峰の梅里雪山で消息を絶つ大規模な遭難事故があった。遭難で仲間を失った著者は、再度日中合同で登頂を目指した96年の登山隊に参加したものの、天候の悪化で断念。その後、98年夏に氷河の下流で遺体が見つかったことを機に麓の村に通い始める。
一人で村に住みながら、遺体と遺品を探し歩く日々。聖山を汚した登山隊への地元の反発は根強かったが、徐々に村民との間に友情が育まれていく。そして村で暮らし、山の周囲を巡る巡礼路を歩くうちに、著者の心の中で、登山の対象としての「梅里雪山」が聖山「カワカブ」へと変わっていく。
村長は著者にカワカブは親のような存在と言い、親の頭を踏まれてどう思うかと問う。20世紀、欧米や日本の登山隊は各地の聖山をも登山の対象として征服してきた。本書でも触れられているが、今やメジャーな8000m峰となったマナスルでも、1954年に初登頂を目指した日本の登山隊が一度地元民の反発で断念している(その2年後に日本隊が初登頂)。梅里雪山でも登山隊は村民の反対を振り切って山に挑み、大規模遭難を引き起こした。
カワカブの麓での生活を通じて、著者は山を中心に豊かな自然が育まれ、その懐に動植物から農耕、牧畜民まで多くの命が息づいていることを知る。そして聖山とは生命の源なのだと気付く。現代の都市に暮らし“聖なるもの”を忘れてしまった我々に、著者の体験が投げかける問いは大きい。