氏家幹人「江戸の性風俗」
日本社会の性に対する態度はいつから今のようになったのだろうか。常識というのは意外なほど歴史が浅い。著者は、川路聖謨の日記を読み解き、武家で開けっぴろげに下ネタが語られていたことを明らかにする。さらに「肌を合わせる」という言葉がかつては第一義的に精神的な信頼関係を意味し、決して現在のように肉体関係のみを表すのではなかったことを指摘する。当時は肌の接触と心の結びつきは不可分の関係にあった。プラトニック・ラブは現代の文化なのだ。
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読んだ本の記録。
氏家幹人「江戸の性風俗」
日本社会の性に対する態度はいつから今のようになったのだろうか。常識というのは意外なほど歴史が浅い。著者は、川路聖謨の日記を読み解き、武家で開けっぴろげに下ネタが語られていたことを明らかにする。さらに「肌を合わせる」という言葉がかつては第一義的に精神的な信頼関係を意味し、決して現在のように肉体関係のみを表すのではなかったことを指摘する。当時は肌の接触と心の結びつきは不可分の関係にあった。プラトニック・ラブは現代の文化なのだ。
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松井今朝子「幕末あどれさん」
タイトル(adolescents)通り幕末を舞台とした青春小説。といってもありがちな志士の話ではない。侍になじめず、芝居作者に弟子入りする青年と、部屋住みの身から立身出世を目指し、陸軍所に通って結果的に戊辰戦争に身を投じる青年。忠臣が逆賊となり、人も社会も目まぐるしく変わっていく。遠く長州で戦争が始まり、他人事だった江戸の町にもやがて戦火が迫る。価値観が転倒し、先の見えない時代に生きる人々の悩みが現代にだぶる。いつの時代だって、普通の人が普通に生きて社会に翻弄された。もし自分がこの時代に生きていたら、というリアルな実感を与えてくれる作品だった。芝居町の描写は著者ならでは。
角幡唯介「探検家の憂鬱」
エッセイ集。冒険中の下半身事情という軽いものから、なぜ冒険するのか、という根源的な問いに対する考察まで。特に現代における冒険の意味については繰り返し触れている。飛行機で南極点も北極点も行ける時代、冒険は個人的な物語にならざるを得ない。航路の開拓といった大義や、未踏の地への初到達も、もはや無い。なぜ冒険するのか、なぜ旅するのか、なぜ山に登るのか。その問いと行為が切り離せなくなり、旅行記もただ体験を書くだけでは意味がなくなっている。著者の「雪男は向こうからやって来た」「空白の五マイル」は現代の冒険記として秀逸だと感じたが、それがどのような思考に裏打ちされているのか分かった。