気づかいルーシー

松尾スズキ「気づかいルーシー」

おじいさんと二人暮らしのルーシー。ある日、おじいさんが馬から落ちて死んでしまう。ルーシーを悲しませたくない馬は、おじいさんの皮をかぶってなりすまし、ルーシーもそれに気づかないふりをする。過剰な気遣いは時として事態を悪化させる。でも憎めない。ブラックユーモアあふれる絵本。

探検家の憂鬱

角幡唯介「探検家の憂鬱」

エッセイ集。冒険中の下半身事情という軽いものから、なぜ冒険するのか、という根源的な問いに対する考察まで。特に現代における冒険の意味については繰り返し触れている。飛行機で南極点も北極点も行ける時代、冒険は個人的な物語にならざるを得ない。航路の開拓といった大義や、未踏の地への初到達も、もはや無い。なぜ冒険するのか、なぜ旅するのか、なぜ山に登るのか。その問いと行為が切り離せなくなり、旅行記もただ体験を書くだけでは意味がなくなっている。著者の「雪男は向こうからやって来た」「空白の五マイル」は現代の冒険記として秀逸だと感じたが、それがどのような思考に裏打ちされているのか分かった。

私が殺した少女

原尞「私が殺した少女」

ハードボイルド探偵ものの名作。直木賞受賞作。天才少女の誘拐事件に巻き込まれて――。ラストは意外性があるが、それよりも過程を楽しむものだろう。窮地でも必ず飛び出す探偵沢崎の減らず口が小気味良い。このジャンルはチャンドラーくらいしか読んだことがないけど、 たまに読むとやっぱり面白い。

向日葵の咲かない夏

道尾秀介「向日葵の咲かない夏」

自殺したクラスメイトを巡る物語。予備知識無しで読み始めたら、ファンタジー? ホラー? ミステリー? と二転三転する話に引き込まれて、一気に読了。一種の叙述トリックだけど、あっと驚くタイプのネタ明かしではなく、どんどん気分が沈んでいって、複雑な気持ちの残るラスト。

戻り川心中

連城三紀彦「戻り川心中」

短編ミステリーの金字塔と言われるだけあって、見事な完成度。詩情豊かで流麗な文章。五編とも花にまつわる話で、特に歌人を主人公に据えた表題作が美しい。トリックや動機は少し大味かもしれないが、それを叙情的な文章と構成が飲み込んで不自然さを感じさせない。

麻耶雄嵩「螢」

定番の“嵐の山荘”もの。叙述トリックが大きく二つ仕掛けられていて、かなり凝った作り。一人称と三人称を混在させる文体が違和感があって、一つ目の仕掛けは多くの読者が気付いてしまうだろうけど、そこからもう一発。ただ凝りすぎていて、かえって驚きは少ないかも。トリックを抜きにしても、充分スリリングで面白いけど。

孤島パズル

有栖川有栖「孤島パズル」

直球の孤島もの。話しの進め方、手がかりの出し方が絶妙で、それほど犯人当てに興味が無い自分のような読者でも、ついつい考えこんでしまう。パズルというタイトルが表しているように、トリックよりロジック。驚きは無いが、引き込まれる。

「空気」の研究

山本七平「『空気』の研究」

日本の社会は「空気」と「水」でできている。空気を読むことと、水を差すこと。判断を空気に任せてしまうことは、結局誰も責任をとらないことにつながる。出撃が無謀だというデータが揃っていたのに出撃し沈んだ戦艦大和から現代に至るまで、事例は枚挙にいとまがない。「そうせざるを得なかった」で突き進む日本社会。水を差すことは本質的な反省を含まず、空気の支配を強化している。
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その日東京駅五時二十五分発

西川美和「その日東京駅五時二十五分発」

人より少し早く終戦を伝えられ、焼け跡の中を東京から故郷の広島に帰っていく少年の姿を描く。著者自身の伯父の手記が下敷きとなった物語。淡々とした筆致で、劇的な展開は何もない。戦争を描いた従来のフィクション、あるいはフィクションのような証言に対するアンチテーゼか。後書きには「『全てに乗りそびれてしまった少年』の空疎な戦争体験」と書かれているが、彼は本当に乗りそびれていたのだろうか。最後、焼け跡の広島を歩いて行くシーンで小説は終わる。その後の彼の物語が知りたいと思った。それも著者の狙い通りなのかもしれないけど。