王国

中村文則「王国」

「掏摸」の姉妹編。悪の象徴としての木崎がこの作品にも登場する。人の悪意は読めないし、人生は徹底的に理不尽。古風(文章は現代的で読みやすいけど)な問題設定は著者の持ち味で、 大器を感じさせる一方、作品はやや小ぶり。悪が典型過ぎるのは狙いだとしても、このテーマなら小説として中編程度の長さでは少し物足りない。ただ読み物としては、「掏摸」 よりこちらの方がスリリングで面白いかも。

どん底 部落差別自作自演事件

高山文彦「どん底 部落差別自作自演事件」

被差別部落の出身で役場の嘱託職員の男が、自身と関係者に差別ハガキを送り続け、偽計業務妨害で有罪になった事件。自作自演の背景に迫りつつ、現在も根深く残っている部落差別を浮き彫りにし、その闘争史に光を当てる力作。“犯人”だけでなく、関係者一人ひとりの人生を丁寧に追っている。
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人形はなぜ殺される

高木彬光「人形はなぜ殺される」

明智小五郎、金田一耕助とともに日本三大探偵といわれる神津恭介。警察にも頼られる天才探偵とワトソン役の推理作家という設定は今読むと古風だが、鮮やかなトリックは60年前の作品ということを全く感じさせない。

多くのミステリーで人形が殺される時、それは見立てに過ぎず、物語の飾りでしか無い。この作品では、「人形はなぜ殺される」のタイトル通り、人形殺しが完璧なトリックの一部として示される。

HHhH

ローラン・ビネ「HHhH」

タイトルはHimmlers Hirn heißt Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)という言葉から。ハイドリヒの暗殺事件を題材にしているが、一般的な歴史小説の文体をとらず、語り手が頻繁に登場し、叙述の悩みを吐露するメタ構造をとっている。
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戦争と読書 水木しげる出征前手記

水木しげる、荒俣宏「戦争と読書 水木しげる出征前手記」

水木しげるが徴兵される直前に書いた手記。手記そのものは短く、半分以上が荒俣宏による解説で、それも水木の戦争体験というよりは、戦前の若者の教養主義についての内容。目前に迫った死の可能性にどう向き合うか。それは生きる意味にもつながってくる。戦前の青年がとにかくよく本を読み、よく悩んだという事実に驚かされる。
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西洋音楽史―「クラシック」の黄昏

岡田暁生「西洋音楽史 ―『クラシック』の黄昏」

いわゆる「クラシック」の前史も含めた西洋音楽の通史。とても分かりやすく、読み物としても面白い。作曲家や名曲の解説は少なく、音楽がどう変化して現在の形になったか、音楽と社会の関係がどう変わってきたか、という内容。
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しょっぱいドライブ

大道珠貴「しょっぱいドライブ」

語り手の主体性のなさがいかにも最近の小説らしい(といっても10年以上前の作品だけど)。主体性はないけど意思はしっかりとあって、それがユーモアと共感を呼ぶ。

江戸の性風俗

氏家幹人「江戸の性風俗」

日本社会の性に対する態度はいつから今のようになったのだろうか。常識というのは意外なほど歴史が浅い。著者は、川路聖謨の日記を読み解き、武家で開けっぴろげに下ネタが語られていたことを明らかにする。さらに「肌を合わせる」という言葉がかつては第一義的に精神的な信頼関係を意味し、決して現在のように肉体関係のみを表すのではなかったことを指摘する。当時は肌の接触と心の結びつきは不可分の関係にあった。プラトニック・ラブは現代の文化なのだ。
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幕末あどれさん

松井今朝子「幕末あどれさん」

タイトル(adolescents)通り幕末を舞台とした青春小説。といってもありがちな志士の話ではない。侍になじめず、芝居作者に弟子入りする青年と、部屋住みの身から立身出世を目指し、陸軍所に通って結果的に戊辰戦争に身を投じる青年。忠臣が逆賊となり、人も社会も目まぐるしく変わっていく。遠く長州で戦争が始まり、他人事だった江戸の町にもやがて戦火が迫る。価値観が転倒し、先の見えない時代に生きる人々の悩みが現代にだぶる。いつの時代だって、普通の人が普通に生きて社会に翻弄された。もし自分がこの時代に生きていたら、というリアルな実感を与えてくれる作品だった。芝居町の描写は著者ならでは。