三月の5日間

岡田利規「三月の5日間」

ここ10年ほどの演劇の方向性を決定づけたとまで言われる作品。内容的には一夜の関係(正確には四泊五日だけど)を語っているだけだが、その語り口が既存のどのスタイルとも違う。で、で、と繋いで語順もばらばら。かなり口語(いわゆる“口語体”ではない)に近いセリフ。「~ってのを今からやります」「~っていう話で」が頻繁に挟まれ、語り手が一定しない。役と役者の関係も含めて一般的な戯曲、演劇のスタイルが解体されている。似たような試みは小説でもあると思うけど、演劇がここまで鮮やかに決めてしまうとは。

才能の森 ―現代演劇の創り手たち

扇田昭彦「才能の森 ―現代演劇の創り手たち」

寺山修司、唐十郎から、井上ひさし、安部公房、野田秀樹、杉村春子や朝倉摂まで24人。長く演劇の取材をしてきた著者だけに、それぞれの演劇人の人柄まで伝わってくる文章。

特に印象に残ったのが、多国籍の俳優による舞台に70年代から取り組んできたピーター・ブルックの言葉。

「演技の命は相違だからです。(中略)非常に異なった人たちが一緒に芝居をしているのを見ると、観客の中にある何かが、単純な形で開かれるのです。このため観客は、人と人との違いを喜びとともに味わうことができます。これは人種差別の逆です。人種差別とは憎しみをもって人と人との違いを見ることが基本にありますからね」

今でこそ、映画でも舞台でもキャストの多様性が珍しくなくなったが、その先駆性に驚かされる。憎しみをもって違いを見る、差別の本質をこれほど簡潔に言い表した言葉はない。

ふがいない僕は空を見た

窪美澄「ふがいない僕は空を見た」

連作短編。性描写が続くが、平易な文章ということもあり、あまり過激には感じない。産院育ちの少年が年上女性との不倫関係にはまり込んでいくなど、文学っぽいモチーフが散りばめられつつも、全体的にはレディースコミックのような印象。漫画のようにすらすらと面白く読めたけど、登場人物や彼らの抱える病の描写が類型的で少し物足りない。ただ現代の病は類型化していると思えば、これはこれでリアルなのかもしれない。

「李香蘭」を生きて

山口淑子「『李香蘭』を生きて」(私の履歴書)

戦時下の満州と中国で、李香蘭として生きた山口淑子の自伝。書くべき事が多すぎる生涯で、この一冊では物足りないくらいだが、自身の言葉でその時々の思いが綴られていて胸に迫る。中国で育った日本人が、中国人スターとして一世を風靡する。日本では中国人として蔑まれ、中国では、なぜ日本に協力するのかと責められる。終戦後、李香蘭として漢奸裁判にかけられるが、日本国籍の山口淑子と証明されて帰国を果たす。一方、清朝の皇族として生まれ、日本人の養子となった川島芳子は漢奸として銃殺された。なぜ自分が生き残ったのか、という思いは李香蘭の衣を脱いだ後も生涯つきまとって離れなかったのだろう。巻末の川島の裁判記録も興味深い。

犬婿入り

多和田葉子「犬婿入り」

短編2本。「~のだった」を執拗に繰り返す「ペルソナ」と、一文が極端に長い「犬婿入り」。どちらの作品も実験的な文体で、読んでいて現実と空想の境目が曖昧になっていく。今となっては決して新しくないし、ねらいの賢しさも感じてしまうが、独特の世界に引きつけられる。
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小劇場の風景 ―つか・野田・鴻上の劇世界

風間研「小劇場の風景 ―つか・野田・鴻上の劇世界」

60年代以降の小劇場の動きを追ったものだが、副題にあるように、つかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史の3人が中心。小劇場史と呼ぶには物足りないが、別役実、鈴木忠志、唐十郎らの第1世代に比べると第2世代以降についてしっかり書かれた本は少ないため、当時の空気が分かる貴重な一冊。社会風俗の視点にとどまらず、作品内容についても丁寧に触れており、時代ごとに若者の語る物語がどう変わってきたかがよく分かる。92年の出版で、この本で現代を捉えていると評価されている鴻上の作品も、今となってはまさに80年代後半〜90年代らしい作品だったと言え、時代の変化の激しさを感じる。

ボクには世界がこう見えていた ―統合失調症闘病記

小林和彦「ボクには世界がこう見えていた ―統合失調症闘病記」

統合失調症の患者の手記。闘病記と言うよりは、幻聴、幻覚が本格的に始まる前の臨界期のことを書いたもの。

大学を卒業し、アニメーション制作会社に就職した頃から少しずつ、自分こそが世界の中心という妄想に陥っていく。些細な偶然に深遠な意味を読み取り、新聞記事やラジオの言葉が自分宛のメッセージと思い込んで、世界平和への使命感に燃える。脈絡の無い思考の中で〝世界の真実〟を掴んだ気になる。
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八月の路上に捨てる

伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」

八月の路上で回想される結婚から離婚への日々。さらっとしつつも繊細な文章で、若い夫婦のすれ違いが綴られていく。いきいきと仕事をする妻の前で、脚本家になる夢を諦めると言い出せない夫。妻はやがて仕事で挫折して心を病み、夫に絡むようになる。夫は家庭の外に逃げ場を求める。互いが互いの負担になっていくさまがリアルで切ない。あそこで、ああしていたら。どちらが悪いわけでもないからこそ、脳裏に浮かぶ別の未来の姿が消えない。芥川賞受賞作だけど、純文学!という感じではない。

文楽をゆく

吉田玉男「文楽をゆく」

二代目吉田玉男襲名記念本。文楽の紹介や入門書ではない。30分ほどで読み通せてしまうが、写真が豊富でいい感じ。ロングインタビューはファンなら必読。襲名するということは、出世ではなく、その名を継いで次代に残す大きな責任を負うということ。そのことがよく伝わってくる。今年1月には上方歌舞伎の大名跡、中村鴈治郎の襲名もあったが、同じ襲名でも歌舞伎と文楽でずいぶん雰囲気が違うのが面白い。