江戸の本屋さん ―近世文化史の側面

今田洋三「江戸の本屋さん ―近世文化史の側面」

京都から始まった日本の出版産業。出版点数を見ると18世紀後半、天明から寛政にかけて一気に上方から江戸へと中心を移したことが分かる。ただ江戸期の書商はいずれも明治になると姿を消した。

文化の変遷は出版から見ると質、量とも非常に分かりやすい。紙メディアとともに出版業そのものが岐路に立つ今、改めてその文化的な役割を考えさせられる一冊。
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高野聖

五来重「高野聖」

勧進を通じて日本仏教の底辺を支えた聖。知識不足で理解しきれない部分も多々あったが、現在は真言密教のイメージしか無い高野山が念仏と浄土信仰の場だったことや、西行の高野聖としての側面(こちらが本質かもしれない)など、教えられる点が多かった一冊。聖地にも、というより、聖地だからこそ、語られなかった歴史が多くある。

絵巻物に見る日本庶民生活誌

宮本常一「絵巻物に見る日本庶民生活誌」

中世以前の絵巻物の隅に描かれた民衆の姿を通じ、当時の生活を読み取っていく。

仮説をつなげ、語られなかった歴史をよみがえらせる手法は後に網野善彦らの研究につながっていった。かなり面白く刺激的な一冊だが、印刷が不鮮明なのに加え、絵の収録が不十分なのが残念。新書ではなく大型本で読みたい。

無縁・公界・楽 ―日本中世の自由と平和

網野善彦「無縁・公界・楽 ―日本中世の自由と平和」

中世以前の日本にあった今とは違う「自由」の形。論文として見れば根拠の弱さが目立つかもしれないが、問おうとしたものは非常に大きい。農業民主体の静的な日本史からの転換。刺激的な1冊。

ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか

シュロモーサンド「ユダヤ人の起源 歴史はどのように創作されたのか」

“ユダヤ人”の根幹を成す離散を否定する「追放の発明」と題した章が強烈。シオニストは、改宗で各地に増えた「ユダヤ教徒」を聖地を追われた「ユダヤ民族」とすり替え、歴史を創作した。

「『日本』とは何か」日本の歴史00

網野善彦「『日本』とは何か」日本の歴史00

7世紀末に生まれた「日本」は、決して農業中心の自給自足の歴史を歩んできたわけではなかった。国家という括りから離れ、「日本」の土地に住む人間の歴史を問い続けた網野善彦のエッセンスが詰った一冊。日本海を巨大な内海として捉える視点などはっとさせられる。

名著「日本の歴史をよみなおす」などに比べ、晩年の焦りか主観的な記述も目立つ。網野は間違いなくこの土地を愛していたが、日本という国政への憎悪とも言える記述には抵抗を感じる人もいるだろう。

日本残酷物語1 貧しき人々のむれ

宮本常一、山本周五郎、揖西高速、山代巴「日本残酷物語1 貧しき人々のむれ」

「残酷物語」という言葉から特異なケースを取り上げた記録集と勘違いさせかねないが、内容はまっとうな民衆史。

飢えや病が避けられぬものだった時代。人が生きていくため、どんな歴史を刻まなければならなかったのか。
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