昨夜のカレー、明日のパン

木皿泉「昨夜のカレー、明日のパン」

夫婦作家、木皿泉の連作短編。夫の死後、ギフ(義父)と暮らす女性の話を始め、何気ない日常が鮮やかに描かれる。

たとえば、死期が迫る夫の病室からの帰り、焼きたてのパンの香りで、悲しみの中にも幸せは存在し得るし、幸せの中にも悲しみはある、と思う場面。「悲しいのに、幸せな気持ちになれるのだと知ってから、テツコは、いろいろなことを受け入れやすくなったような気がする」。幸せや不幸せという言葉にあまり囚われないようにと、読んでいるこちらもしみじみと感じる。
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テロ

フェルディナント・フォン・シーラッハ「テロ」

注目の作家シーラッハの初戯曲。誰かを助けるために、誰かを犠牲にすることは許されるか。「トロッコ問題」などで知られる古典的な問いかけだが、テロの時代である現代、それは思考実験ではなく、現実の問題になりつつある。
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麻雀放浪記

阿佐田哲也「麻雀放浪記」

   

戦後を代表する大衆小説の一つであり、日本文学史に燦然と輝くピカレスクロマン。色川武大は好きな作家の一人だが、阿佐田哲也名義の小説は読んだことが無く、いまさらながら手に取った。

半自伝的小説で、戦後間もない頃の裏社会、というより裏も表も渾然となった社会で、今では考えられないような生き方をしていた人々のことが生き生きと描写されている。運もイカサマも全て力で、力で劣る者は負けて裸になるしかない。生きるとは戦いで、ならば博奕打ちとは最も純粋な生きざまなのかもしれない。そんなことを思わされる。自分にはそんな純粋な生き方はできないけど。
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夜行

森見登美彦「夜行」

つい読んでしまう作家の一人。饒舌で阿呆な文章が魅力の書き手だけど、この作品は静かな怪奇譚。初期の短編集「きつねのはなし」に近い。「夜行」という連作版画を巡り、身近な人が忽然と消えるなどの不思議な話が登場人物一人一人の口から語られていく。物語を反転させ、余韻を残す最終章がみごと。
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深夜特急6 南ヨーロッパ・ロンドン

沢木耕太郎「深夜特急6 南ヨーロッパ・ロンドン」

最終巻。長い旅は終え時が難しい。著者は前巻で旅を人生に喩え、何を見ても新鮮な幼年期、青年期から、通り過ぎた景色ばかりが鮮明となる壮年期、老年期があると書いているが、この最終刊に書かれているのはまさに壮年期から老年期。イタリアからフランス南部に入り、旅の最終目的地ロンドンが目の前に迫る中、旅を終える決断を先延ばしにしてスペインへ。イベリア半島を横断し、その果てのサグレスで、ふっと「これで終わりにしようかな」という瞬間が訪れる。

6巻を一気に読み終え、自分も旅をしたような心地よい疲れがある。読んで面白い旅行記は他にもあるけど、この読後感はあまり無い。

深夜特急4 シルクロード

沢木耕太郎「深夜特急4 シルクロード」

四巻はなんと言ってもアフガニスタンと革命前のイランの様子が書かれているのが面白い。まだ日本人旅行者は多くない時代だが、ヒッピーが世界中を旅し、カトマンズやバラナシのように東西を行き来する旅人の逗留地となっていたカブール。都会の空気が漂うテヘラン。この時代にこの地域を旅してみたかった。
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深夜特急3 インド・ネパール

沢木耕太郎「深夜特急3 インド・ネパール」

三巻はインド横断とカトマンズ。70年代当時の混沌としたカルカッタやバラナシの様子が伝わってきて興味深い。二巻に続いて印象的なのが、汚い食事や野宿などの一つ一つについて、文句や苦労を語るのではなく、その都度、また一つ自由になれた気がしたと記していること。たしかに自分も安宿であればあるほど、そこに自由を感じていた。場末の宿屋の汚いベッドの上で、あるいは駅の軒下でうずくまって、自分はどこにだって行けるという気がした。
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深夜特急2 マレー半島・シンガポール

沢木耕太郎「深夜特急2 マレー半島・シンガポール」

二巻はマレー半島縦断。旅のスタート地点である香港で受けた衝撃が強かったせいか、その影を追い求めて旅も筆もそれほど盛り上がらないが、売春宿での逗留や、電車や乗り合いバスなどでの人との出会いが生き生きと描かれていて、旅の魅力に溢れている

深夜特急1 香港・マカオ

沢木耕太郎「深夜特急1 香港・マカオ」

以前は旅行記の類はあまり面白いと思わなかった。就職して長旅が出来なくなってから、時々手に取るようになった。バックパッカーのバイブルとも言われるこの「深夜特急」も大学生の頃、インドかどこかの宿で誰かが置いていったものを読んだことがあるが、自分自身がまさに旅をしている時にはそれほど惹かれなかった。

改めて読み返してみて、旅を追体験―というよりも再度体験しているような気持ちになれた(第1巻に書かれている香港もマカオも実際は行ったことがないけど)。市場の熱気、安宿のよどんだ空気、初めての土地に降り立った時の“自由”の感覚――。自分が旅に出る前にこの本を読んでいたら大いに影響を受けただろうし、逆に当時は旅の最中に読んだから今読む必要はないと感じたのだろう。

思えば、大学生の頃には小説もあまり読まなかった。逆に高校生の頃は小説しか読まなかった。再び小説を欲するようになったのは就職してから。自由が無くなった時に物語や旅行記を求める。本は昔から変わらずに読んでいても、その動機はその時々で結構変わっているようだ。