日本の路地を旅する

上原善広「日本の路地を旅する」

中上健次が「路地」と呼んだ非差別部落。

元が雑誌の連載ということもあってあっさり気味だが、それでも十分読み応えがある。これで終わりではなく、路地出身の著者自身の物語や、路地それぞれの今をもっと読みたい。

中上健次「岬」

地虫が鳴き始めていた、の書き出しから続く息苦しいほどの濃密さ。

“路地”では噂こそが現実で、場所の狭さは物語の狭さを限定しない。「枯木灘」に続き、「千年の愉楽」や「奇蹟」へと広がる作品群の無限の可能性を予感させる。

三陸海岸大津波

吉村昭「三陸海岸大津波」

明治29、昭和8、35年…と繰り返し津波に襲われた三陸の記録。吉村昭の作品にしてはあっさり気味の文章だけど、収録された子供達の作文のためだけでも読む価値がある。

2度の壊滅を経て巨大な防潮堤を築いた田老町だが、今回再び町が消えた。著者が存命なら今何を書いただろう。

葉桜の季節に君を想うということ

歌野晶午「葉桜の季節に君を想うということ」

中途半端にきざな文章が鼻について前半は読み進めるのが苦痛だったが、それも含めて大がかりな叙述トリックは見事としか言いようがない。全体的に仕掛けのために物語を組み立てたような不自然さは否めないが、叙述トリックの大傑作。

地下室の手記

ドストエフスキー「地下室の手記」

自意識を主題とした小説は数あれど、19世紀半ばに書かれたこの作品が今読んでも一番現代的。

文庫の帯に「”自意識”の中で世界を嗤う男」「苦痛は快楽である」って書かれてるけどちょっとずれているような。

飢餓浄土

石井光太「飢餓浄土」

亡霊、祈り、祟り…貧困や戦争の中で生活する人々の見る幻。著者らしい人間らしさの記録。

最近多作な著者だが、徐々に文章から著者自身の悩みが消え、描写が小説のように饒舌になってきた印象を受ける。初期の作品にあった主観的な描写に惹かれた身にとっては少し寂しく感じる。

ハーモニー

伊藤計劃「ハーモニー」

フーコーの生権力なんかを念頭に、単純なディストピアではなく、読み手の世界観を問う作品。

設定の細かさの一方、テーマはやや消化不良な気もする。理詰めの作家だけに、生きて長編を書き続けていれば相当なものを残していたかもしれないのが残念でならない。

紫苑物語

石川淳「紫苑物語」

美文で知られる石川淳だが、この時期の文章が一番美しいかもしれない。日本語の小説としては一つの完成形だろう。物語があってそれを伝えるために言葉があるのではなく、言葉と物語が一体となった文章を書く希有な作家。

放浪記

林芙美子「放浪記」

要は日記だから内容は面白くないけど、文章が素晴らしい。極貧の生活を嘆きながらも、生き生きと鮮やかな描写がそこかしこに。

“弱き者よ汝の名は貧乏なり”