朝井リョウ「何者」
就活を物語の中心に据えた、珍しいけどとても現代的な小説。SNSの流行で、誰もが自分を短いキーワードの羅列で“何者か”に見せようとする現代をユーモアを交えつつリアルに描写している。頑張っている自分を発信し続けずにはいられない人、キラキラした単語を散りばめて意識の高い自分を演出する人、それを冷静に観察して自分は違うと優越感に浸る人。それぞれに対する憎しみと共感が描かれていて、誰もが読んでニヤリとしつつ、どこかチクリとも感じるのでは。
読んだ本の記録。
船戸与一「夢は荒れ地を」
カンボジアを舞台に、人捜しから始まった物語は、人身売買、汚職、地雷撤去を巡る利権争いなど、国家と人間の闇に深く分け入っていく。元クメール・ルージュらの新たな村作り、識字率を上げようと奮闘する日本人、そしてもう一人……。カンボジアの闇に取りつかれ、夢は荒れ地を駆け巡る。
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瀬川拓郎「アイヌと縄文:もうひとつの日本の歴史」
近世以前の北海道というと、水稲耕作を中心とする弥生文化から取り残された土地というように考えてしまいがちだが、実際にそこに住んでいた人々は取り残されたのではなく、狩猟を下敷きとした交易を積極的に選んだ人々だったということを著者は明らかにしている。
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半藤一利「あの戦争と日本人」
1年前にkindleのセールで買ったまま積読(電子書籍ではなんと言えば……)していた1冊。
著者の論旨は明快で、日露戦争から日中戦争、太平洋戦争にかけて、国の指導者がいかにリアリズムを失っていったかに重点を置いて語られている。「統帥権の独立」を盾に「軍部が暴走」という単純な歴史観ではなく、参謀本部、内閣、世論がそれぞれに、ずるずると戦略無しの決断を重ねていった結果、引き返せない地点に至ったことを丁寧に明らかにしている。あの戦争は決して軍部という異常な存在が単独で引き起こした問題ではない。大衆、メディア、政治、どこにも大局的見地がないという問題は現在の日本にも重なる。
村田沙耶香「コンビニ人間」
ディストピア小説を書いてきた作者だが、この作品は身近でリアルな生きづらさを扱っている。
主人公は「普通」が理解できない女性。コンビニのマニュアルの中に安息を見つけ、大学生の時からバイトとして18年間生きてきた。「コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思い出せない」「そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった」。そんな女性に、周囲は遠慮のない疑問(なんで就職しないの? なんで結婚しないの?)をぶつける。「普通の人間」を演じない存在に、世間は容赦しない。「なんで?」という無邪気な(あるいは善意の顔をした)問いが「普通」へと人を追い詰める。でも「普通」を演じることは、人によっては簡単なことではないし、そもそも「普通」なんてあるのだろうか。
岩波書店辞典編集部編「世界の名前」
世界各地の名前に関する100のコラム。洋の東西を問わず、古代から現代まで。それぞれの地域の研究者が執筆しており、これだけバリエーションに富んだ専門家の原稿をそろえられるのは、さすが岩波。
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ロバート・P・クリース「世界でもっとも美しい10の科学実験」
ムック本のような邦題だけど、科学史家による読み応えのある一冊。
“美”はただ整っているということだけを意味しない。優れた芸術作品は、それが絵画であっても、文学や音楽でも、世界の見え方を多少なりとも変えてしまう。それこそが美なのだとしたら、科学実験も同様に美しい。
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安岡章太郎「ガラスの靴・悪い仲間」
初期短編集。戦争を挟んで青春時代を過ごし、明確な価値基準や希望の存在しない日常を見つめる著者の視線は、村上春樹など二十世紀後半の文学作品にも通じる現代性がある。
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