離婚

色川武大「離婚」

連作とも言える私小説的な短編4本。離婚した後も別れきれない男女の姿を描く。

奔放で依存的な妻と、保護者のようでいて常に一歩引いた場所にいる夫。人生や男女関係を達観して色々なことを諦めているようで、同時に執着も捨て切れない。

この二人ほどでなくても、多かれ少なかれ、人間関係にはこんな面があるのでは。理性的な夫に共感する人もいるだろうし、だからこそ卑怯だと妻に共感する人もいるだろう。

著者の作品は、阿佐田哲也のイメージしかなかった頃に「狂人日記」と「百」を読んで驚嘆したが、直木賞受賞作のこれも良い。文体は静かで文学的な印象を受けるが、内容は喜劇と言っても良い面白みがある。この作品は特に。

恋するソマリア

高野秀行「恋するソマリア」

「謎の独立国家ソマリランド」の続編。ソマリアに恋して、その日常生活を知ろうと四苦八苦。外国人どころか男子禁制の一般家庭の台所で料理を学び、南部ソマリアでは、アル・シャバーブとの内戦の最前線へ。

著者のルポは「アヘン王国潜入記」「西南シルクロードは密林に消える」などミャンマーものが白眉の出来だが、ソマリア紀行もそれらに並ぶ読み応え。政治や歴史に触れつつ、決してそれが主題とならない。見知らぬ土地で人の話を聞いて、いろいろなことを知り、先入観が覆されていく。本を通じて旅のそんな感覚を思い出させてくれる。こんな旅はできないけど。

佐川君からの手紙

唐十郎「完全版 佐川君からの手紙」

芥川賞受賞作。小説としてはかなり読みにくい。唐十郎の筆は、冒頭で示された佐川一政、人肉食、異郷、というテーマからどんどん離れ、脈絡のない妄想のような世界に入り込む。読み進めるのに苦労を要するが、饒舌なイメージの連なりは、まさに唐の紅テント芝居のようで、筋を追うのを諦めたあたりで面白くなってくる。ラストも、唐の芝居の幕切れのカタルシスほどではないが、鮮やかで強い印象を残す。

原色の街・驟雨

吉行淳之介「原色の街・驟雨」

吉行淳之介の代表作の一つ。娼婦に愛情=執着を抱いてしまった戸惑いが淡々と描かれる「驟雨」は、ある意味で普遍的な恋愛小説。シンプルなのに繊細な描写は、今の小説や映画から失われてしまった手触り。ここに描かれている女性は幻想のように非現実的だが、恋愛小説はまさに男女の幻想を描くものだろう。男達の視線に追われるようにして色街に辿り着いた女を描く「原色の街」は、精神と肉体の関係という非常に現代的なテーマを扱っている。

パラレルワールド

ミチオ・カク「パラレルワールド ―11次元の宇宙から超空間へ」

宇宙論入門。始まりのゆらぎから、遥か未来の宇宙の終焉まで。量子論、相対性理論、ひも理論を丁寧に解説しつつ、SF小説や古典など大量の文芸作品を引用していて、著者の博識ぶりに驚かされる。
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幸せ最高ありがとうマジで!

本谷有希子「幸せ最高ありがとうマジで!」

岸田賞受賞作。新聞販売店の一家のもとに、夫の愛人と嘘を付く女が現れる。理由は“無差別テロ”。

「私、病んでるけど元気なのよ。最先端なの。切ったり鬱になったりなんかしないし、明るい人格障害なのよ」

「あんたみたいな従来の情緒不安定系とは付き合いたくない」

女は自身を〝絶望の理由乞食〟といい、絶望の理由がある他人に絡んでいく。極端な振る舞いは、段々ともの悲しさに転じる。

この作風に拒否反応を示す人もいそうだけど、面白いことはとても面白い。

三月の5日間

岡田利規「三月の5日間」

ここ10年ほどの演劇の方向性を決定づけたとまで言われる作品。内容的には一夜の関係(正確には四泊五日だけど)を語っているだけだが、その語り口が既存のどのスタイルとも違う。で、で、と繋いで語順もばらばら。かなり口語(いわゆる“口語体”ではない)に近いセリフ。「~ってのを今からやります」「~っていう話で」が頻繁に挟まれ、語り手が一定しない。役と役者の関係も含めて一般的な戯曲、演劇のスタイルが解体されている。似たような試みは小説でもあると思うけど、演劇がここまで鮮やかに決めてしまうとは。

才能の森 ―現代演劇の創り手たち

扇田昭彦「才能の森 ―現代演劇の創り手たち」

寺山修司、唐十郎から、井上ひさし、安部公房、野田秀樹、杉村春子や朝倉摂まで24人。長く演劇の取材をしてきた著者だけに、それぞれの演劇人の人柄まで伝わってくる文章。

特に印象に残ったのが、多国籍の俳優による舞台に70年代から取り組んできたピーター・ブルックの言葉。

「演技の命は相違だからです。(中略)非常に異なった人たちが一緒に芝居をしているのを見ると、観客の中にある何かが、単純な形で開かれるのです。このため観客は、人と人との違いを喜びとともに味わうことができます。これは人種差別の逆です。人種差別とは憎しみをもって人と人との違いを見ることが基本にありますからね」

今でこそ、映画でも舞台でもキャストの多様性が珍しくなくなったが、その先駆性に驚かされる。憎しみをもって違いを見る、差別の本質をこれほど簡潔に言い表した言葉はない。