ふがいない僕は空を見た

窪美澄「ふがいない僕は空を見た」

連作短編。性描写が続くが、平易な文章ということもあり、あまり過激には感じない。産院育ちの少年が年上女性との不倫関係にはまり込んでいくなど、文学っぽいモチーフが散りばめられつつも、全体的にはレディースコミックのような印象。漫画のようにすらすらと面白く読めたけど、登場人物や彼らの抱える病の描写が類型的で少し物足りない。ただ現代の病は類型化していると思えば、これはこれでリアルなのかもしれない。

「李香蘭」を生きて

山口淑子「『李香蘭』を生きて」(私の履歴書)

戦時下の満州と中国で、李香蘭として生きた山口淑子の自伝。書くべき事が多すぎる生涯で、この一冊では物足りないくらいだが、自身の言葉でその時々の思いが綴られていて胸に迫る。中国で育った日本人が、中国人スターとして一世を風靡する。日本では中国人として蔑まれ、中国では、なぜ日本に協力するのかと責められる。終戦後、李香蘭として漢奸裁判にかけられるが、日本国籍の山口淑子と証明されて帰国を果たす。一方、清朝の皇族として生まれ、日本人の養子となった川島芳子は漢奸として銃殺された。なぜ自分が生き残ったのか、という思いは李香蘭の衣を脱いだ後も生涯つきまとって離れなかったのだろう。巻末の川島の裁判記録も興味深い。

犬婿入り

多和田葉子「犬婿入り」

短編2本。「~のだった」を執拗に繰り返す「ペルソナ」と、一文が極端に長い「犬婿入り」。どちらの作品も実験的な文体で、読んでいて現実と空想の境目が曖昧になっていく。今となっては決して新しくないし、ねらいの賢しさも感じてしまうが、独特の世界に引きつけられる。
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小劇場の風景 ―つか・野田・鴻上の劇世界

風間研「小劇場の風景 ―つか・野田・鴻上の劇世界」

60年代以降の小劇場の動きを追ったものだが、副題にあるように、つかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史の3人が中心。小劇場史と呼ぶには物足りないが、別役実、鈴木忠志、唐十郎らの第1世代に比べると第2世代以降についてしっかり書かれた本は少ないため、当時の空気が分かる貴重な一冊。社会風俗の視点にとどまらず、作品内容についても丁寧に触れており、時代ごとに若者の語る物語がどう変わってきたかがよく分かる。92年の出版で、この本で現代を捉えていると評価されている鴻上の作品も、今となってはまさに80年代後半〜90年代らしい作品だったと言え、時代の変化の激しさを感じる。

ボクには世界がこう見えていた ―統合失調症闘病記

小林和彦「ボクには世界がこう見えていた ―統合失調症闘病記」

統合失調症の患者の手記。闘病記と言うよりは、幻聴、幻覚が本格的に始まる前の臨界期のことを書いたもの。

大学を卒業し、アニメーション制作会社に就職した頃から少しずつ、自分こそが世界の中心という妄想に陥っていく。些細な偶然に深遠な意味を読み取り、新聞記事やラジオの言葉が自分宛のメッセージと思い込んで、世界平和への使命感に燃える。脈絡の無い思考の中で〝世界の真実〟を掴んだ気になる。
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八月の路上に捨てる

伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」

八月の路上で回想される結婚から離婚への日々。さらっとしつつも繊細な文章で、若い夫婦のすれ違いが綴られていく。いきいきと仕事をする妻の前で、脚本家になる夢を諦めると言い出せない夫。妻はやがて仕事で挫折して心を病み、夫に絡むようになる。夫は家庭の外に逃げ場を求める。互いが互いの負担になっていくさまがリアルで切ない。あそこで、ああしていたら。どちらが悪いわけでもないからこそ、脳裏に浮かぶ別の未来の姿が消えない。芥川賞受賞作だけど、純文学!という感じではない。

文楽をゆく

吉田玉男「文楽をゆく」

二代目吉田玉男襲名記念本。文楽の紹介や入門書ではない。30分ほどで読み通せてしまうが、写真が豊富でいい感じ。ロングインタビューはファンなら必読。襲名するということは、出世ではなく、その名を継いで次代に残す大きな責任を負うということ。そのことがよく伝わってくる。今年1月には上方歌舞伎の大名跡、中村鴈治郎の襲名もあったが、同じ襲名でも歌舞伎と文楽でずいぶん雰囲気が違うのが面白い。

すっぽん心中

戌井昭人「すっぽん心中」

短編3本。ひょんなことから知り合った男女がすっぽんを捕りに行く表題作は、乾いたユーモアが最後まで貫かれた傑作。おかしな話なのにどことなくリアルな手触りがある。「植木鉢」「鳩居野郎」は変わったものを書いてやろうという狙いが作品に滲んでしまっている印象。でも面白い。長編を一度読んでみたい。