手鎖心中

井上ひさし「手鎖心中」

言葉遊びの得意な井上ひさしらしい軽妙な時代小説。大店の若旦那が戯作者目指して自ら手鎖の刑を望み、心中事件を起こす表題作と、もう一篇。ドタバタを通じて、どこか現代を生きる自分自身を顧みさせられるのがこの人らしい。近世の戯作者の姿を通じて、現代の物書きの覚悟を問うているようにも思える。

売笑三千年史

中山太郎「売笑三千年史」

神代から明治まで、売笑の歴史を総覧する大著。

膨大な史料を引用し、宗教的行為としての売色から始まり、巫女から巫娼へ、そして遊行婦、浮かれ女、白拍子、娼妓、芸妓……とその変遷を辿っていく。ただの性産業の歴史ではなく、婚姻形態の移り変わりや、武士の台頭など社会の変化を映し出していて興味深い。
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クレイジー・ライク・アメリカ

イーサン・ウォッターズ「クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか」

「心の病」とその治療法は世界共通なのか。共同体や文化、時代に属するものではないのか。

著者は、香港での拒食症の流行や、日本における「うつ病」キャンペーンなど大きく四つの事例を挙げ、欧米流の精神医学の輸出の弊害を告発する。

欧米においてもボーア戦争や南北戦争など、時代によって心の反応は違っていた。現在、地域固有の症状は姿を消しつつあり、欧米の精神医学が、世界各地で苦しみに意味を与えていた物語や考え方から人々を切り離す嵐となっている。
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夏の終り

瀬戸内晴美「夏の終り」

瀬戸内晴美としての代表作の一つ。私小説であることや内容の生々しさは、発表当時は衝撃的だったろうが、今読めばそれほどではない。表面的には全く共感できない物語だが、自らの感情を把握できないことの途方もない苦しみだけが強く心に残った。

維新派大全 ―世界演劇・世界劇場の地平から

「維新派大全 ―世界演劇・世界劇場の地平から」

約15年前にまとめられた維新派に関するムック。野外の特設劇場という舞台芸術の一回性を突き詰めた公演を続ける維新派について書かれた本は極めて少なく、貴重な記録。

個人的に、昨年の犬島公演や、今秋の大阪公演では、海や移民、都市の記憶を舞台上に立ち上がらせ、歴史をこう表現することができるのかと衝撃を受けた。

ヂャンヂャン☆オペラという手法を確立し、集団が成熟期を迎えたころに書かれた評論やインタビューが中心で、松本雄吉と維新派の“核”がなんとなく分かる。

阿修羅ガール

舞城王太郎「阿修羅ガール」

純文学がライトノベルを真似して書いてみた、という印象。かるーい女子高生風の口調でこれだけの分量を書ききる力量は相当なものだが、読み進めるのはちょっとしんどい。思索的な部分が多く、それが文体に合わせて狙っているのだろうが、まさに中高生レベル。性や暴力など表面的にはかなり過激な描写が続くのに、読んでいて平坦な印象を受ける。

父帰る・恩讐の彼方に

菊池寛「父帰る・恩讐の彼方に」

「父帰る」「恩讐の彼方に」「忠直卿行状記」「藤十郎の恋」「三浦右衛門の最後」の五本。簡潔な文章で、短編でもここまで語れるという見本のような作品。特に「藤十郎の恋」は、芸道の業の深さを描いて、息が詰まるような濃密さ。

「三浦右衛門の最後」は一々「この時代は○○が当然だったのである」と近世以前の野蛮性を強調する一文が挟まれていて、菊池寛の歴史観が伺われて面白い。

仲蔵狂乱

松井今朝子「仲蔵狂乱」

孤児の身の上から歌舞伎の大看板まで駆け上がった初代中村仲蔵の生涯を描く。どん底の下積み生活から苦難の末、座頭、千両役者に。江戸三座の興亡から、団十郎、幸四郎といった他の大名跡を巡る役者達の思惑、陰謀、さらに田沼意次の出世、失脚、度重なる大火、飢饉、米価の上昇、打ち壊しといった時代背景も描かれ、ただの人間ドラマにとどまらない緊張感がある。普段、時代小説はほとんど読まないのだけど、かなり引き込まれた。

その街の今は

柴崎友香「その街の今は」

何気ない日常を描くという、よくある感じの小説だが、大阪の街に対する愛情に富んでいて読んでいて温かい気持ちになる。それもありがちなデフォルメされた“大阪らしい大阪”ではなく、日本中共通するような都市の情景に、そこで生まれ育ったという愛着を滲ませる。
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続・文楽の研究

三宅周太郎「続・文楽の研究」

昭和初期に書かれた評論と随筆集。豊竹山城少掾、吉田栄三ら名人の逸話や、文楽の危機について。

著者は後継者難から文楽の未来を悲観しつつ、歌舞伎などに比べて往時の形態、技芸を忠実に現在に伝えているとその価値を高く評価している。当時既に衰退著しかった淡路人形浄瑠璃についての記述もあり、芸が変わらずに受け継がれてくることの難しさを思わされる。
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