その街の今は

柴崎友香「その街の今は」

何気ない日常を描くという、よくある感じの小説だが、大阪の街に対する愛情に富んでいて読んでいて温かい気持ちになる。それもありがちなデフォルメされた“大阪らしい大阪”ではなく、日本中共通するような都市の情景に、そこで生まれ育ったという愛着を滲ませる。
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続・文楽の研究

三宅周太郎「続・文楽の研究」

昭和初期に書かれた評論と随筆集。豊竹山城少掾、吉田栄三ら名人の逸話や、文楽の危機について。

著者は後継者難から文楽の未来を悲観しつつ、歌舞伎などに比べて往時の形態、技芸を忠実に現在に伝えているとその価値を高く評価している。当時既に衰退著しかった淡路人形浄瑠璃についての記述もあり、芸が変わらずに受け継がれてくることの難しさを思わされる。
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師父の遺言

松井今朝子「師父の遺言」

直木賞作家である著者の自伝だが、その多くを戦後文化の巨人(怪人?)、武智鉄二とのエピソードが占めており、一種の評伝ともなっている。あくまで思い出としての書き方で少し物足りない部分もあるけど、活動、発言の振幅が広く、なかなか実像がつかめない武智鉄二という人物の情熱、器の大きさ、そして何より人間らしい側面を最後の弟子という立場から綴っていて胸を打つ。“兄弟子”である扇雀(坂田藤十郎)とのやりとりも印象的。

浮浪児1945‐ 戦争が生んだ子供たち

石井光太「浮浪児1945‐ 戦争が生んだ子供たち」

戦後街に溢れたストリートチルドレンがどう消えていったのか、彼らがその後どのように生きて来たのか、あまり語られることのなかった浮浪児の戦後史。当然それは一括りに一般化して語れるものではなく、あくまで個人の物語を積み上げる作業となる。

地下道での生活、闇市での仕事、テキヤ、ヤクザ、パンパンとの交流、孤児院、脱走、そして経済発展……

ここに語られているのは主に東京大空襲と上野の町の記憶だが、戦後の日本全体、さらには現在の世界各地の都市に通じる普遍性を持った証言でもある。

ニッポン景観論

アレックス・カー「ニッポン景観論」

何でもアスファルトとコンクリートで覆い、独創的な巨大建築が賞という権威の下でもてはやされ、電柱、電飾、看板、幟が無秩序に氾濫する。日本の景観がいかに台無しにされているか、写真たっぷり、皮肉たっぷりに説く。当事者は不快な気持ちになるだろうけど、大変面白いし、考えさせられる一冊。ただ日本の看板や張り紙、幟好きは近世くらいからの歴史があって、もはや文化といえるような気がしなくもない。海外で旧市街や歴史的建造物保存に成功した事例も少数ながら紹介されていて勉強になる。

桜の園

チェーホフ「桜の園」

チェーホフの代表作の一つ。時代の変化とともに没落していく家族の姿を描いた戯曲だが、悲劇の湿っぽさはなく、乾いた、おおらかな空気が流れている。喜劇としてこれを書くセンス、抑制された会話、背後に流れる物語の広がり。隙なく完成された作品。

動物園物語/ヴァージニア・ウルフなんかこわくない

エドワード・オールビー「動物園物語/ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」

エドワード・オールビーの戯曲2篇。アメリカらしいリアリズムの上に築かれた不条理劇。

「動物園物語」は、著者略歴で現代社会のコミュニケーションの欠落を描いた作品と書かれているけど、むしろこれを欠落と捉えることが現代的なのかも。

「ヴァージニア・ウルフなんかこわくない」は二組の夫婦が入り混じって罵り合う、凄みのある対話劇。破綻したように見える関係の中でも、夫婦は人生を共有している。

文福茶釜

黒川博行「文福茶釜」

古美術、骨董を巡る騙しあいを描いた短編集。“だまされた方が悪い”という、究極のエンターテインメントとも言える世界。贋作の技術や初出しの手口など、刺激的で、なかなか勉強になる。短編ながらしっかりオチが付いていて、読んだ満足感も高い。いかにもな推理小説臭が無く、乾いた大阪弁も気持ちがいい。何となく手に取った一冊だけど、予想外の面白さ。

八つの小鍋 ―村田喜代子傑作短篇集

村田喜代子「八つの小鍋 ―傑作短篇集」

一人の老婆の背後にどれだけの物語が隠れているのだろう。何気ない日常における想像力の豊かさ、そしてその想像力が追いつかないほど世界が豊穣で、底知れないものであることに気付かされる作品集。描かれているのは何てことのない場面ばかりなのに不思議な広がりを持っている。

文楽芸と人

安藤鶴夫「文楽芸と人」

安藤鶴夫による文章が3編収録されているが、山城小掾となる前の古靭太夫の芸談と、紋十郎の評伝が特にすばらしい。古靭の芸談は戦争による連載中止で途中で終わってしまっているが、若き修行の日々を丁寧に語っていて、それ自体がひとつの浄瑠璃のよう。そして花形として一時代を築きながら三和会の会長となって苦難の日々を送った紋十郎の半生。住太夫や簑助がまだ入門したてで、現在の文楽協会の前史とも言える物語。当時の空気を伝えていて読み応えがある。