悲劇の名門 團十郎十二代

中川右介「悲劇の名門 團十郎十二代」

昔ほどには序列がはっきりしなくなっているが、歌舞伎における名跡はまさに地位そのもの。そのなかでも最高位の團十郎を、歴代がどう生きたのか。それは役者が河原乞食から高尚な伝統芸能の担い手になるまでの歌舞伎の歴史そのものでもあり、実力がはっきりと分かる芸の世界で生まれながらに最高位を生きることは、それだけで複雑な一生を全ての團十郎に強いてきた。九代目とその後の空白期間を経て團十郎も幹部役者の一人に落ち着いているが、十三代目は今後どうなっていくのだろう。

雪男は向こうからやって来た

角幡唯介「雪男は向こうからやって来た」

雪男捜索のルポというよりも、雪男が実在すると確信し、生涯をそれに費やした男たちの物語。著者は08年の雪男捜索隊に参加しているが、その時の記録より、それ以前に雪男の姿や足跡を目撃したことがきっかけで、死ぬまでヒマラヤに通い続けることになった人々の話が印象深い。

人がふとしたきっかけで信仰の道に入るように、雪男は向こうからやって来て、彼らを離さなかった。「空白の五マイル」は冒険そのものの凄みで読ませたが、UMAのような読む前に結果が分かっている題材をここまで読ませるのは相当な筆力。大きさや外見はともかくとして、ヒマラヤに2足歩行する未知の動物=雪男はいるのかもしれないと思わされた。

ゴドーを待ちながら

サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」

ただひたすらゴドーを待つ2人。ゴドーが何者なのか、2人は何者なのかは全く説明されず、意味のない会話が延々と続く。途中わずかに別の登場人物も絡むが、何かが起こってほしいという期待は裏切られ続ける。

不条理劇の代表のように言われているけど、シンプルに人生や家族の寓話のように読めばそれほど難解ではない。「Godot」は「神」でも「死」でも「ドラマ」でも何でもいい。難解ではないが、いくらでも解釈できるのが難しく見せている。それも人生らしい。

島国チャイニーズ

野村進「島国チャイニーズ」

劇団四季からチャイナタウン、山形の農村の中国人妻まで、在日華僑、華人の話を聞いて歩く。

つい、「在日」として韓国・朝鮮系と(しばしばマイナスイメージで)ひとくくりに考えがちだが、日本での生活への満足度や、国籍、中国名へのこだわりの薄さなど実態は大きく異なる。雑誌連載がもとになっているためか、それぞれの話が少し浅いけど、在日チャイニーズの多様さに気付かされる。
“島国チャイニーズ” の続きを読む

ヨーガの哲学

立川武蔵「ヨーガの哲学」

思想、宗教としての側面が忘れられつつある「ヨガ」。個人的に印度哲学の知識不足で思想としてはちんぷんかんぷんの内容だけど、宗教的実践としてのヨーガがどう発展してきたか、禅や密教にも通じる話で結構面白い。

心を止揚させるための古典ヨーガが、心の作用を活性化させるためのハタ・ヨーガへと変化し、健康法としてのヨガもこの流れを(欧米を経由して)継いでいる。「俗」を徹底的に否定することにより「聖」を目指す当初の立場が、「俗」を聖化する方向へと発展したのは、インドに限らず、他の宗教の歴史にも通じるものがあり、興味深い。

山岳気象大全

猪熊隆之「山岳気象大全」

無茶苦茶ためになる一冊。山岳地帯でどう天気が変化していくのか、地形による影響も含めて解説していてとても分かりやすい。

山の天気は天気予報だけでは頼りないと思いつつ、これまで漫然と地上天気図を眺めるだけだったけど、高層天気図や地形、実際の雲の様子を考慮に入れた天気の見方が分かり、目からうろこ。過去の遭難事故の多くを前後の天気図と比較して検討しているのも勉強になる。2年前の出版だけど、もっと早く読んでいれば。

ムッシュ・クラタ

山崎豊子「ムッシュ・クラタ」

戦前、戦中を通じてフランス文化に心酔し、「ムッシュ・クラタ」と揶揄されたある新聞記者。浮世離れしてキザなだけに思えた人物像が、知人や家族の回顧を通じて徐々に深みを増していく。

人の本質は一人では捉えられないということを強く感じさせる表題作ほか、どれも味わいがある短編。社会派、大作のイメージが強い山崎豊子だが、小品も素晴らしい。どの短篇も書こうと思えば大長編にできそうな奥行きがあって、この人は書くべきものをどれだけ持っていたのだろうと思わされた。

奴隷になったイギリス人の物語

ジャイルズ・ミルトン「奴隷になったイギリス人の物語」

欧州各地からモロッコに連れ去られ、奴隷となった人々の記録。黒人奴隷の影に隠れた歴史の盲点。100万という数字や記述の正確さは判断できないが、この事実を抜きにしては、当時の白人のイスラム観というか、ムーア人観は理解できないのだろう。
“奴隷になったイギリス人の物語” の続きを読む