彼岸からの言葉

宮沢章夫「彼岸からの言葉」

完全に趣味の問題だけど、エッセイはちょっとしたツボの違いでピンと来なくなってしまって、小説よりもシビア。

日常にひそむ気まずい瞬間などをうまく切り取っておかしみに変えてしまう感性はさすが。と思いつつ、著者のエッセイの中でも特に笑えると言われているらしいが、最後まで笑えず……

性風土記

藤林貞雄「性風土記」

古本で購入。“性”の遠野物語。

記録に残らないぶん、より不変なものと考えられがちな性風俗。この本の出版は昭和の半ば、紹介されている習俗は昭和初期に記録されたものが中心だが、旅人に身内を夜伽に出す貸妻、意味不明な柿の木問答など、現代からすればかなり衝撃的なものばかり。
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冠婚葬祭のひみつ

斎藤美奈子「冠婚葬祭のひみつ」

冠婚葬祭が現在の形になった歴史を取り上げた第1章が面白い。いかにも伝統っぽい神前式も、大正天皇の御婚儀を経て神社が結婚ビジネスに参入したことに始まる。葬儀も現在の告別式のルーツは中江兆民。どちらもせいぜい100年の歴史しかない。

桃と端午の節句が下火になる一方、宮参り、お食い初め、一升餅などのイベントの実施率は最近の方が高いというのも面白い。住宅事情や経済状況で、行いやすいイベントへと「伝統行事」は移っていく。
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調査されるという迷惑

宮本常一、安渓遊地「調査されるという迷惑 ―フィールドに出る前に読んでおく本」

善意の及ぼす結果や範囲に人は無自覚になりやすい。宮本常一の文章は1章だけだが、生涯を歩く、見る、聞くことに費やした宮本の問題意識が込められていて心に残る。

「調査というものは地元のためにはならないで、かえって中央の力を少しずつ強めていく作用をしている場合が多く、しかも地元民の人のよさを利用して略奪するものが意外なほど多い」
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わたしたちに許された特別な時間の終わり

岡田利規「わたしたちに許された特別な時間の終わり」

本谷有希子、戌井昭人など、ここ数年評価が高い新人小説家の多くが演劇畑出身というのは、活字漬けで育ってきた身からすれば少し淋しい。大江賞を受賞した岡田利規もその一人で、ここに収録された「三月の5日間」は00年代で最も影響が大きかったとされる演劇の小説版。イラクで戦争が始まった日からの5日間、渋谷のラブホテルでだらだら過ごしている男女を描いただけで、そこにはドラマも何も無い。ただよく分からない“特別な感じ”だけが漂う。

“特別”が分からなくなった現代。村上春樹が描いた時代の喪失感の次をとらえかけているような気がしなくもない。

陰翳礼讃

谷崎潤一郎「陰翳礼讃」

重々しい題から高尚な芸術論かと思われがちだが、基本的には偏屈文士の愚痴エッセイ。

西洋的なもの対する捉え方が結構偏見に満ちていて面白い。西洋人が清潔すぎると言って、「あの白い汚れ目のない歯列を見ると、何んとなく西洋便所のタイル張りの床を想い出すのである」。
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広田弘毅 ―「悲劇の宰相」の実像

服部龍二「広田弘毅 ―『悲劇の宰相』の実像」

「落日燃ゆ」では、広田弘毅は筋の通った人物で、傑出した外交官として描かれるが、外相就任後の動きを丁寧に見ていくと、彼も典型的な、平凡な政治家の一人に過ぎなかったという印象を受ける。協調外交や平和主義への志向は確かに強かったのだろうが、時流には逆らえなかった、というより、近衛内閣のポピュリズムのもとで時流に対して逆らおうとしなかったのではないか。

もちろん、行動や発言を丁寧に追っていくと、凡庸ではない人間なんて歴史上にいない。というより、人の凡庸さを見つめるのが歴史学だろう。そうした意味で、この本に書かれている広田の“凡庸さ”は、現代の政治を考える上でも重要な視座と言える。

マクベス

シェイクスピア「マクベス」

四大悲劇の一つとされているけど、「リチャード三世」のようなスピード感と鮮やかさがあって読みやすい。リチャード三世は悩まず破滅の道を走るが、マクベスは苦悩し、魔女の予言に囚われてしまう。マクベスと夫人の会話は1人の人間の内面のやりとりのよう。夫婦の立場が入れ替わる構成も巧み。シェイクスピア作品の中でも、物語の見せ方という点で、特に現代的に感じる。

風姿花伝

「風姿花伝」

観阿弥の教え、世阿弥の書。

世阿弥は能の美を花に喩え、花を知るために種=技芸を知るよう説く。

「花のあるやうをしらざらんは、花さかぬ時の草木をあつめてみんがごとし」
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