伊豆の踊子

川端康成「伊豆の踊子」

拍子抜けするほど短い中に、艶めかしさと爽やかさが混じったような空気が漂う。青年期の一瞬を見事に捉えるとともに、無垢な少女の描写には川端らしい変態っぽさも漂っていて、短編なのに底知れない感じ。

離婚

色川武大「離婚」

連作とも言える私小説的な短編4本。離婚した後も別れきれない男女の姿を描く。

奔放で依存的な妻と、保護者のようでいて常に一歩引いた場所にいる夫。人生や男女関係を達観して色々なことを諦めているようで、同時に執着も捨て切れない。

この二人ほどでなくても、多かれ少なかれ、人間関係にはこんな面があるのでは。理性的な夫に共感する人もいるだろうし、だからこそ卑怯だと妻に共感する人もいるだろう。

著者の作品は、阿佐田哲也のイメージしかなかった頃に「狂人日記」と「百」を読んで驚嘆したが、直木賞受賞作のこれも良い。文体は静かで文学的な印象を受けるが、内容は喜劇と言っても良い面白みがある。この作品は特に。

佐川君からの手紙

唐十郎「完全版 佐川君からの手紙」

芥川賞受賞作。小説としてはかなり読みにくい。唐十郎の筆は、冒頭で示された佐川一政、人肉食、異郷、というテーマからどんどん離れ、脈絡のない妄想のような世界に入り込む。読み進めるのに苦労を要するが、饒舌なイメージの連なりは、まさに唐の紅テント芝居のようで、筋を追うのを諦めたあたりで面白くなってくる。ラストも、唐の芝居の幕切れのカタルシスほどではないが、鮮やかで強い印象を残す。

原色の街・驟雨

吉行淳之介「原色の街・驟雨」

吉行淳之介の代表作の一つ。娼婦に愛情=執着を抱いてしまった戸惑いが淡々と描かれる「驟雨」は、ある意味で普遍的な恋愛小説。シンプルなのに繊細な描写は、今の小説や映画から失われてしまった手触り。ここに描かれている女性は幻想のように非現実的だが、恋愛小説はまさに男女の幻想を描くものだろう。男達の視線に追われるようにして色街に辿り着いた女を描く「原色の街」は、精神と肉体の関係という非常に現代的なテーマを扱っている。

幸せ最高ありがとうマジで!

本谷有希子「幸せ最高ありがとうマジで!」

岸田賞受賞作。新聞販売店の一家のもとに、夫の愛人と嘘を付く女が現れる。理由は“無差別テロ”。

「私、病んでるけど元気なのよ。最先端なの。切ったり鬱になったりなんかしないし、明るい人格障害なのよ」

「あんたみたいな従来の情緒不安定系とは付き合いたくない」

女は自身を〝絶望の理由乞食〟といい、絶望の理由がある他人に絡んでいく。極端な振る舞いは、段々ともの悲しさに転じる。

この作風に拒否反応を示す人もいそうだけど、面白いことはとても面白い。

「李香蘭」を生きて

山口淑子「『李香蘭』を生きて」(私の履歴書)

戦時下の満州と中国で、李香蘭として生きた山口淑子の自伝。書くべき事が多すぎる生涯で、この一冊では物足りないくらいだが、自身の言葉でその時々の思いが綴られていて胸に迫る。中国で育った日本人が、中国人スターとして一世を風靡する。日本では中国人として蔑まれ、中国では、なぜ日本に協力するのかと責められる。終戦後、李香蘭として漢奸裁判にかけられるが、日本国籍の山口淑子と証明されて帰国を果たす。一方、清朝の皇族として生まれ、日本人の養子となった川島芳子は漢奸として銃殺された。なぜ自分が生き残ったのか、という思いは李香蘭の衣を脱いだ後も生涯つきまとって離れなかったのだろう。巻末の川島の裁判記録も興味深い。

小劇場の風景 ―つか・野田・鴻上の劇世界

風間研「小劇場の風景 ―つか・野田・鴻上の劇世界」

60年代以降の小劇場の動きを追ったものだが、副題にあるように、つかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史の3人が中心。小劇場史と呼ぶには物足りないが、別役実、鈴木忠志、唐十郎らの第1世代に比べると第2世代以降についてしっかり書かれた本は少ないため、当時の空気が分かる貴重な一冊。社会風俗の視点にとどまらず、作品内容についても丁寧に触れており、時代ごとに若者の語る物語がどう変わってきたかがよく分かる。92年の出版で、この本で現代を捉えていると評価されている鴻上の作品も、今となってはまさに80年代後半〜90年代らしい作品だったと言え、時代の変化の激しさを感じる。

八月の路上に捨てる

伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」

八月の路上で回想される結婚から離婚への日々。さらっとしつつも繊細な文章で、若い夫婦のすれ違いが綴られていく。いきいきと仕事をする妻の前で、脚本家になる夢を諦めると言い出せない夫。妻はやがて仕事で挫折して心を病み、夫に絡むようになる。夫は家庭の外に逃げ場を求める。互いが互いの負担になっていくさまがリアルで切ない。あそこで、ああしていたら。どちらが悪いわけでもないからこそ、脳裏に浮かぶ別の未来の姿が消えない。芥川賞受賞作だけど、純文学!という感じではない。

すっぽん心中

戌井昭人「すっぽん心中」

短編3本。ひょんなことから知り合った男女がすっぽんを捕りに行く表題作は、乾いたユーモアが最後まで貫かれた傑作。おかしな話なのにどことなくリアルな手触りがある。「植木鉢」「鳩居野郎」は変わったものを書いてやろうという狙いが作品に滲んでしまっている印象。でも面白い。長編を一度読んでみたい。