糸とはさみと大阪と

小篠綾子「糸とはさみと大阪と」

コシノ家のお母ちゃんの自伝。戦前戦後を生き抜き、一時代を築いた女系家族の年代記として、服飾史に興味が無くても面白い。文章は淡々とした丁寧語だが、所々に熱い思いとデザイナーとしての自信、温かな人柄が滲む。

さらば雑司ヶ谷

樋口毅宏「さらば雑司ヶ谷」

帯にも書かれているようにタランティーノを彷彿とさせるオマージュ、コラージュに富んだ世界観。次々と人が死ぬ展開もぶっ飛んでいて、読後感も、小説を読んだと言うよりスピード感のある漫画やB級映画を見終わった感じ。ジャンルを問わなければ別に新しさは無いけど、小説としては結構新鮮。

ふしぎなキリスト教

橋爪大三郎、大澤真幸「ふしぎなキリスト教」

キリスト教というより、ユダヤ教から始まる一神教入門。

人間中心に世界を見る多神教に対し、人間から完全に隔たった神が中心の一神教。神の意志が捉えられないからこそ続く問いかけ。それこそが信仰で、教祖の言葉が全てとなりやすい新興宗教との大きな違いだろう。
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インディヴィジュアル・プロジェクション

阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」

数年前に一度読んだはずだが、印象も内容もまったく記憶に残っていない。久しぶりに読んでみると、意外なほど面白い。

スパイ塾、事故、殺人、ヤクザ、プルトニウム…、読み進むにつれ、どこまでがこの物語の中の「現実」で、何が主人公の記憶の錯綜なのか分からなくなってくる。最後まで読むと、どっちでもいいやという気持ちに。不思議な読後感だが、悪くない。良い意味で“B級純文学”と言えるかもしれない。

Self-Reference ENGINE

円城塔「Self-Reference ENGINE」

時間が壊れた世界を描くSF長編(短編連作)。時間軸と共に物語も拡散し、難解と言うよりも煙に巻かれた感じ。個々のエピソードや文章には気の利いたユーモアが溢れ、ところどころ非常に面白い。ボルヘス、安部公房、小松左京あたりを混ぜたような雰囲気がある。

天皇家の財布

森暢平「天皇家の財布」

天皇家と皇族でお金がどのように使われているのか。

公的な宮廷費と私的な内廷費、その曖昧な使い分けと憲法解釈で政教分離など様々な課題をクリアしていることなど、なかなか面白い。親王と内親王の教育費の出所、天皇と皇后の入院費用の出所がそれぞれ宮廷費、内廷費と分けていることなど、現代の感覚からすれば逆に問題があるんじゃないかと思うことも。

皇族費がどのような基準で配分されているかや、献上、賜与の上限額なども、細かな点ながら勉強になる。

砂の本

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「砂の本」

無限のページを持つ「砂の本」。難解と言うよりも、まさに、迷宮のようと言ったほうがふさわしいボルヘス晩年の短篇集。物語は難しくないのに、自分の立ち位置が分からなくなるような。表題作と冒頭の「他者」が素晴らしい。

夏の朝の成層圏

池澤夏樹「夏の朝の成層圏」

現代の、というより、二十世紀のロビンソン・クルーソー。デビュー作だけあって荒削りながら、文明観や書くという行為への姿勢など著者自身のすべてが刻印されている。

文明の外を指向しながら、あくまで都市生活者という視点。それが成層圏という言葉に表される瑞々しい浮遊感を生んでいる。

恋する原発

高橋源一郎「恋する原発」

予想以上に不謹慎、想像以上にカオス。震災チャリティーAVを巡り、原発、宗教、天皇、北朝鮮に始まり、ディズニー、AKB、けいおん……、今ぱっと思いつく限りの「批判できない空気」があるテーマをエログロ交えて書き荒らす。

十年後、二十年後まで残っているような名作とは思わないけど、面白い。こういう作品が出せるのが文学や小説の懐の深さだろう。

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙

河北新報社「河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙」

あの時、宮城や福島にいた記者が何を感じ、どう動いたのか。取材する記者一人一人も、人間で、被災者で、でも取材者と取材対象者は決して同じ立場ではない。

少しでも多くの人に読んで、自分ならどうするか想像してもらいたい記録。