ボクには世界がこう見えていた ―統合失調症闘病記

小林和彦「ボクには世界がこう見えていた ―統合失調症闘病記」

統合失調症の患者の手記。闘病記と言うよりは、幻聴、幻覚が本格的に始まる前の臨界期のことを書いたもの。

大学を卒業し、アニメーション制作会社に就職した頃から少しずつ、自分こそが世界の中心という妄想に陥っていく。些細な偶然に深遠な意味を読み取り、新聞記事やラジオの言葉が自分宛のメッセージと思い込んで、世界平和への使命感に燃える。脈絡の無い思考の中で〝世界の真実〟を掴んだ気になる。
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八月の路上に捨てる

伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」

八月の路上で回想される結婚から離婚への日々。さらっとしつつも繊細な文章で、若い夫婦のすれ違いが綴られていく。いきいきと仕事をする妻の前で、脚本家になる夢を諦めると言い出せない夫。妻はやがて仕事で挫折して心を病み、夫に絡むようになる。夫は家庭の外に逃げ場を求める。互いが互いの負担になっていくさまがリアルで切ない。あそこで、ああしていたら。どちらが悪いわけでもないからこそ、脳裏に浮かぶ別の未来の姿が消えない。芥川賞受賞作だけど、純文学!という感じではない。

すっぽん心中

戌井昭人「すっぽん心中」

短編3本。ひょんなことから知り合った男女がすっぽんを捕りに行く表題作は、乾いたユーモアが最後まで貫かれた傑作。おかしな話なのにどことなくリアルな手触りがある。「植木鉢」「鳩居野郎」は変わったものを書いてやろうという狙いが作品に滲んでしまっている印象。でも面白い。長編を一度読んでみたい。

わりなき恋

岸惠子「わりなき恋」

古希の女性と還暦の男性の恋愛小説。著者自身が投影された主人公は、自分の人生経験に絶対的な自信があって、それ故に成熟できていない。綺麗ごとは、ある時には、他人の目に醜悪に映る。年も性別も性格も違う自分は全く共感できない作品だけど、見たくないものを見せられたような強い印象が残った。

俺俺

星野智幸「俺俺」

ふとした思いつきでオレオレ詐欺を働いた途端、俺は別の「俺」になって、「俺」が社会に増殖していく。分かり合える分身の存在に最初は幸福感を抱く「俺」だが、やがて自分の醜悪な面も見続けることに耐えられなくなって「俺」同士の衝突が始まる。こう書くと意味不明だが、自分や他者、社会との向き合い方を、比喩ではなく実際に「俺」をもう一人、さらに一人と次々と登場させて描いていくという実験的手法で、破綻ぎりぎりで完成させている。

殺戮にいたる病

我孫子武丸「殺戮にいたる病」

これぞ叙述トリック!というような巧みなミスリード。読み手を騙すという一点に向けて物語が進む。犯人の名前も、犯行の様子も描かれているのに、想像力の盲点を突かれてしまう。読み手と犯人ではなく、読み手と語り手の知恵比べ。

ただ殺人の描写がグロテスクすぎて人には薦めにくいし、物語そのものは本格的な推理小説を求める人には物足りないかもしれない。あっと驚かされたい人は是非。