私本・源氏物語

田辺聖子「私本・源氏物語」

もし源氏物語が現代の娯楽小説や漫画として書かれていたら、あるいは近世以降の草双紙で書かれていたら、こんなノリかもしれない。光の君を従者の目から描き、雅という視点に囚われず、好色という要素をうまく抽出して思わず笑ってしまう面白い小説に仕上げている。登場人物のキャラが立っていて皆魅力的。いい意味で突っ込みどころ満載。

ワーニャ伯父さん/三人姉妹

チェーホフ「ワーニャ伯父さん/三人姉妹」

人生を棒に振ったと悔やむワーニャ、自分は華々しい人生を生きることはできないと悟っているソーニャ、現実と向き合いきれない三人姉妹。

チェーホフの戯曲には主役がいない。この2作は、どこか達観したような「桜の園」ほど乾いておらず、結構暗い印象。決してすっと心に入ってくる作品ではないけど、この閉塞感は胸に迫る。

誰もが抱える、思い描いていた人生を歩めないという絶望。それを甘いと切り捨てられる人には全くひびかないだろうけど。

定本 日本の秘境

岡田喜秋「定本 日本の秘境」

経済成長の波がまだ地方に及んでいない昭和30年代前半に書かれた紀行文。秘境とは書いているものの、人跡未踏の地ではなく、あくまで人間の住む土地。九州脊梁山地から、神流川、大杉谷、佐田岬、襟裳岬…。中宮、酸ヶ湯、夏油といった温泉の往時の姿も興味深い。

宮本常一は「自然は寂しい。しかし人の手が加わるとあたたかくなる」と書いたが、まさにその“あたたかな風景”を求める旅。
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単独行

加藤文太郎「単独行」

“孤高の人”として知られる加藤文太郎(1905~36)。戦前、パーティーを組むのが常識だった登山に単独で挑み、冬季槍ケ岳などで数々の単独登頂記録を残して「不死身の加藤」とも呼ばれた。
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ゲルマニウムの夜 ―王国記1

花村萬月「ゲルマニウムの夜 ―王国記1」

過激な暴力、性描写と書くと、よくある純文学の一分野の気がしてしまうが、これはグロテスクさで一つ突き抜けている。修道院を舞台に神を冒涜するかのような行為が重ねられていくが、それは宗教の欺瞞を露わにしながら、同時に信仰の悦楽に対する研究となっている。過激な描写はあくまで表面的なもので、その核にあるモチーフは古典的な印象。

幕が上がる

平田オリザ「幕が上がる」

“静かな演劇”の地平を切り開いた著者がどんな小説を書くのか気になっていたら、これが意外なほど爽やかな青春小説。そして、まさにそれを狙ったのだろうけど、“高校演劇入門”としても白眉の出来。余計なドラマが無いのがいい。唯一のドラマが元女優の副顧問を巡る後半の展開だけど、それすら無くてもいいくらい。

普通の悩みだからこそ、かけがえがない。ドラマがないからこそ、日々は可能性と希望に満ちあふれている。こんな風に夢中になれるものを見つけられたら。

巷談 本牧亭

安藤鶴夫「巷談 本牧亭」

半世紀前の直木賞を受賞した、安藤鶴夫の小説での代表作。

東京最後の講談定席、本牧亭を舞台に、そこを訪れる常連、芸人の悲喜こもごもを淡々とした筆致で綴っていく。今となっては失われてしまった世界を描いていてちょっと切ないけど、読んでいて何とも温かい気持ちになる。どことなくからっとしているのは、江戸っ子気質か。人の世の喜怒哀楽全てに対して優しくなれそうな作品。

弾左衛門とその時代

塩見鮮一郎「弾左衛門とその時代」

穢多頭、長吏頭として江戸期の被差別民を統率した「弾左衛門」。最後の弾左衛門(13代目、弾直樹)の生涯と、初代が関八州を家康から任せられるようになった経緯の考察が中心。

特に明治の解放令に直面した13代目の話が興味深い。被差別民の解放は、土地の商品化や皮革産業における特権の解体など、資本主義の要請と一体だった。身分制度は、差別意識のみが歪んだ形で次の時代に残ってしまった。

OL放浪記

わかぎえふ「OL放浪記」

さまざまな職場でのOL経験から、中島らも事務所の人間模様まで、売れない役者だったころの日々を綴ったエッセイ。90年前後の話で、職場の雰囲気に時代が感じられて面白い。普段気にとめないけど、世の中(いい意味で)変な人が多い。それを一つ一つ噛みしめることができれば、日々はもっと鮮やかになる。そんなことを思わされた。