今夜、すベてのバーで

中島らも「今夜、すベてのバーで」

重度のアルコール依存症だった著者が、連続飲酒で入院した病院での日々をもとに綴った小説。「酒をやめるためには、飲んで得られる報酬よりも、もっと大きな何かを、『飲まない』ことによって与えられなければならない。それはたぶん、生存への希望、他者への愛、幸福などだろうと思う」。飄々としたゆるい描写の中に、ところどころ透徹した視線が見え隠れするのが著者らしい。
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チェルノブイリの祈り ―未来の物語

スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り ―未来の物語」

昨年のノーベル文学賞受賞作家。“チェルノブイリ後”を生きるベラルーシの人々の聞き書き。事故後の収束活動にほぼ強制的に動員された予備役の兵士達、夫を失った妻、先天的な病を持つ子を抱える母、 疎開先で差別された子、残された動物を殺して回った猟師、避難区域に戻って暮らすサマショールの人々…。読んでいて胸が締め付けられる。
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思い出トランプ

向田邦子「思い出トランプ」

向田邦子の短編集。夫婦の微妙な空気を描いた作品が多い。一つ一つはかなり短い話なのに、登場人物の人生が透け、ここから前にも後ろにもいくらでも物語が書けそうなのはさすが名手。普段、見ないようにして生きている自分や他人の弱さや浅ましさ、人間の“裏”をさらっと見せつけられるような作品群。

吾輩ハ猫ニナル

横山悠太「吾輩ハ猫ニナル」

冒頭に「日本語を学ぶ中国人を読者に想定した小説を書く」とあるように、遊び心(一種の批評性と言えなくもない)に富んだ小説。ルビを大量に使用し、中国語(の漢字表記)と日本語の折衷と言った文体。外公(じいじ)、媽(おかん)、電視(テレビ)、方便店(コンビニ)などから、洗衣機(せんたくき)といった日本語かと思って読むとちょっと違う表記もあって、なんだか不思議な感覚。講(かた)り、累(つか)れ、さらには好基友(ホモダチ)といった単語まで。後半ルビが減ってくるが、それでもほぼ意味は取れる。どんな表現、表記でも飲み込んでしまう日本語の柔軟性を示していて不思議な読書体験を味わえるが、残念ながら、小説として面白いかというと。

忍ぶ川

三浦哲郎「忍ぶ川」

最後の一篇を除いて私小説的な短編集。兄二人が失踪し、姉二人が自殺、残る一人の姉も目を患っている。著者自身を投影した主人公は、自らの血に深い不安を抱え、妻の二度目の妊娠で初めて親になる決意をする。特に印象的なのが、父の臨終の場面。尋常に死んでいった父を見て、悲しみよりも安堵を抱く。肉親の死を恥と思い生きてきて、父の死の平凡さは救いとなった。妻の志乃ができすぎた人のため、自らの血や出自に対する不安に共感できない人には、主人公がただの身勝手な男に映るかもしれないけど。
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塩の街

有川浩「塩の街」

有川浩デビュー作。人間が次々と塩化していく社会。終末のラブストーリー。一時期流行ったセカイ系というのか、なんだか今読むと懐かしい雰囲気の作品。もともとライトノベルとして書かれているので、細かな説明が無いままご都合で物語が進むのはご愛嬌。塩で崩壊していく文明という世界設定が想像力を刺激する。

夜間飛行

サン=テグジュペリ「夜間飛行」

サン=テグジュペリの名作。徹底したリアリズム小説であると同時に、全編を通じて詩的な美しさをたたえている。中でも、一縷の光を求めて雲の上に出る場面は言葉を失うほど。
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夕べの雲

庄野潤三「夕べの雲」

多摩丘陵の上の一軒家、夫婦と3人の子供。庭の風よけの木をどうするか悩んだり、子供が兄弟でじゃれ合っていたり、駅前で梨を買ったり……。何でもないようなことが幸せ、という内容が続く。何かを思い立っても、いつかそのうち、で穏やかな日々は過ぎていく。 団地造成で切り開かれていく近くの山の描写が唯一その時間が失われることを暗示するかのように時折挟まれる。
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タダイマトビラ

村田沙耶香「タダイマトビラ」

子に無関心な母親のもとで育ち、カーテンに包まれるという家族欲を満たすための自慰行為「カゾクヨナニー」にふける少女。成長して“本当の家”を作るパートナーを見つけたと感じたのもつかの間、その相手も家族欲を満たすためだけに自分を求めていると気づき、家族欲そのものがない世界こそが本来の姿だと悟る。世界が崩壊していくようなラストはかなりダークだが、個人的には、重いというよりやや安っぽい印象を受けてしまった。それまでの抑制的な筆致の方が恐ろしい。

若い読者のための短編小説案内

村上春樹「若い読者のための短編小説案内」

ガイドというより、それぞれの作品をどう読むかということを作家としての立場から綴ったエッセイ。すぐれた書評・読書案内であると同時に、読み物としても面白い。 “純文学”をどう楽しむか。「仮説を立てて読む」ということの喜びが冒頭に書かれている。仮説というと大げさに聞こえるが、確かにその通りで、それが可能なだけの奥行きを持つかどうかが、ただの散文か文学かの境目だろう。
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