手鎖心中

井上ひさし「手鎖心中」

言葉遊びの得意な井上ひさしらしい軽妙な時代小説。大店の若旦那が戯作者目指して自ら手鎖の刑を望み、心中事件を起こす表題作と、もう一篇。ドタバタを通じて、どこか現代を生きる自分自身を顧みさせられるのがこの人らしい。近世の戯作者の姿を通じて、現代の物書きの覚悟を問うているようにも思える。

夏の終り

瀬戸内晴美「夏の終り」

瀬戸内晴美としての代表作の一つ。私小説であることや内容の生々しさは、発表当時は衝撃的だったろうが、今読めばそれほどではない。表面的には全く共感できない物語だが、自らの感情を把握できないことの途方もない苦しみだけが強く心に残った。

阿修羅ガール

舞城王太郎「阿修羅ガール」

純文学がライトノベルを真似して書いてみた、という印象。かるーい女子高生風の口調でこれだけの分量を書ききる力量は相当なものだが、読み進めるのはちょっとしんどい。思索的な部分が多く、それが文体に合わせて狙っているのだろうが、まさに中高生レベル。性や暴力など表面的にはかなり過激な描写が続くのに、読んでいて平坦な印象を受ける。

父帰る・恩讐の彼方に

菊池寛「父帰る・恩讐の彼方に」

「父帰る」「恩讐の彼方に」「忠直卿行状記」「藤十郎の恋」「三浦右衛門の最後」の五本。簡潔な文章で、短編でもここまで語れるという見本のような作品。特に「藤十郎の恋」は、芸道の業の深さを描いて、息が詰まるような濃密さ。

「三浦右衛門の最後」は一々「この時代は○○が当然だったのである」と近世以前の野蛮性を強調する一文が挟まれていて、菊池寛の歴史観が伺われて面白い。

仲蔵狂乱

松井今朝子「仲蔵狂乱」

孤児の身の上から歌舞伎の大看板まで駆け上がった初代中村仲蔵の生涯を描く。どん底の下積み生活から苦難の末、座頭、千両役者に。江戸三座の興亡から、団十郎、幸四郎といった他の大名跡を巡る役者達の思惑、陰謀、さらに田沼意次の出世、失脚、度重なる大火、飢饉、米価の上昇、打ち壊しといった時代背景も描かれ、ただの人間ドラマにとどまらない緊張感がある。普段、時代小説はほとんど読まないのだけど、かなり引き込まれた。

その街の今は

柴崎友香「その街の今は」

何気ない日常を描くという、よくある感じの小説だが、大阪の街に対する愛情に富んでいて読んでいて温かい気持ちになる。それもありがちなデフォルメされた“大阪らしい大阪”ではなく、日本中共通するような都市の情景に、そこで生まれ育ったという愛着を滲ませる。
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師父の遺言

松井今朝子「師父の遺言」

直木賞作家である著者の自伝だが、その多くを戦後文化の巨人(怪人?)、武智鉄二とのエピソードが占めており、一種の評伝ともなっている。あくまで思い出としての書き方で少し物足りない部分もあるけど、活動、発言の振幅が広く、なかなか実像がつかめない武智鉄二という人物の情熱、器の大きさ、そして何より人間らしい側面を最後の弟子という立場から綴っていて胸を打つ。“兄弟子”である扇雀(坂田藤十郎)とのやりとりも印象的。

文福茶釜

黒川博行「文福茶釜」

古美術、骨董を巡る騙しあいを描いた短編集。“だまされた方が悪い”という、究極のエンターテインメントとも言える世界。贋作の技術や初出しの手口など、刺激的で、なかなか勉強になる。短編ながらしっかりオチが付いていて、読んだ満足感も高い。いかにもな推理小説臭が無く、乾いた大阪弁も気持ちがいい。何となく手に取った一冊だけど、予想外の面白さ。

八つの小鍋 ―村田喜代子傑作短篇集

村田喜代子「八つの小鍋 ―傑作短篇集」

一人の老婆の背後にどれだけの物語が隠れているのだろう。何気ない日常における想像力の豊かさ、そしてその想像力が追いつかないほど世界が豊穣で、底知れないものであることに気付かされる作品集。描かれているのは何てことのない場面ばかりなのに不思議な広がりを持っている。

人間小唄

町田康「人間小唄」

ある作家を壊そうと誘拐し……という話だが、要約すれば無意味になってしまうほど不条理なストーリー。これまでの作品のナンセンスを突き抜けて、何が書きたいのか全く分からない。でも、怒りのような感情だけが伝わってくる。投げやりなのか、計算された構造なのかも判断できないが、傑作長編「告白」の次を伺わせるインパクトがある。