水の女

中上健次「水の女」

中上健次は同じような構造、テーマの作品を繰り返し書いた。土地に漂う匂い。理不尽な衝動。動物的な、自我が希薄にさえ思える性描写。紀州の路地とその周辺を舞台とした作品群は、この短篇集に収められたものを含め、狭く小さな話でも、どれもが神話的な色彩を帯びている。

優雅で感傷的な日本野球

高橋源一郎「優雅で感傷的な日本野球」

ポップに解体された物語。野球を通じて野球以外のものを語っている? いろいろ解釈できそうなのに、解釈する気を起こさせない。この物語には何もない、と思う。最近の前衛的と言われる作品よりはるかに過激。

さらば雑司ヶ谷

樋口毅宏「さらば雑司ヶ谷」

帯にも書かれているようにタランティーノを彷彿とさせるオマージュ、コラージュに富んだ世界観。次々と人が死ぬ展開もぶっ飛んでいて、読後感も、小説を読んだと言うよりスピード感のある漫画やB級映画を見終わった感じ。ジャンルを問わなければ別に新しさは無いけど、小説としては結構新鮮。

ビブリア古書堂の事件手帖

三上延「ビブリア古書堂の事件手帖 ―栞子さんと奇妙な客人たち」

いわゆる安楽椅子探偵ものだけど、ミステリと呼べるほどの謎はない。ただ随所に本の知識が出てきて楽しいし、先が気になって一気に読めてしまう。本好きにとっては、本屋とか古書店が舞台というだけで魅力的。世界観だけで、続きも読みたくなる。

ポトスライムの舟

津村記久子「ポトスライムの舟」

仕事で小金を稼ぎながら、日々の細々とした生活に追われ、なぜこんなことをしているのか、その問いには答えが無いからこそ、それ以上考えない。働くことをテーマにした小説は基本的に好きじゃないけど、物語の彩りの無さ、主人公の生気の無さが逆に好感が持てる。文庫の裏表紙には「働くことを肯定したくなる小説」って書いてあるけど、それはちょっと違うだろう。

イニシエーション・ラブ

乾くるみ「イニシエーション・ラブ」

冒頭から安っぽくて甘々な恋愛小説がずっと続いてちょっときついけど、最後の2行で、ほう、となる。この仕掛けがすべて。

物語そのものには特筆すべきものは何もないが、改めて細部を振り返ると、非常に良くできている。叙述トリックは、そればっかりだと食傷気味になるけど、たまに読むとやっぱり楽しい。静岡が舞台というのが小説では結構珍しく、新鮮。

インディヴィジュアル・プロジェクション

阿部和重「インディヴィジュアル・プロジェクション」

数年前に一度読んだはずだが、印象も内容もまったく記憶に残っていない。久しぶりに読んでみると、意外なほど面白い。

スパイ塾、事故、殺人、ヤクザ、プルトニウム…、読み進むにつれ、どこまでがこの物語の中の「現実」で、何が主人公の記憶の錯綜なのか分からなくなってくる。最後まで読むと、どっちでもいいやという気持ちに。不思議な読後感だが、悪くない。良い意味で“B級純文学”と言えるかもしれない。

Self-Reference ENGINE

円城塔「Self-Reference ENGINE」

時間が壊れた世界を描くSF長編(短編連作)。時間軸と共に物語も拡散し、難解と言うよりも煙に巻かれた感じ。個々のエピソードや文章には気の利いたユーモアが溢れ、ところどころ非常に面白い。ボルヘス、安部公房、小松左京あたりを混ぜたような雰囲気がある。

砂の本

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「砂の本」

無限のページを持つ「砂の本」。難解と言うよりも、まさに、迷宮のようと言ったほうがふさわしいボルヘス晩年の短篇集。物語は難しくないのに、自分の立ち位置が分からなくなるような。表題作と冒頭の「他者」が素晴らしい。

夏の朝の成層圏

池澤夏樹「夏の朝の成層圏」

現代の、というより、二十世紀のロビンソン・クルーソー。デビュー作だけあって荒削りながら、文明観や書くという行為への姿勢など著者自身のすべてが刻印されている。

文明の外を指向しながら、あくまで都市生活者という視点。それが成層圏という言葉に表される瑞々しい浮遊感を生んでいる。