宮沢賢治 存在の祭りの中へ

見田宗介「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」

宮沢賢治は牧歌的なイメージとは裏腹に、作品にもその思想にも自己否定の影が付きまとう。自己否定の先、自我からの脱却の向こうに見えた存在の豊かさ、世界の美しさ。結果的に“デクノボー”として生き抜くことはできなかったが、そこに向けて、存在の祭りの中を歩き続けた。

「近代の自我の原型が、いわば偏在する闇の中をゆく孤独な光としての自我ともいうべきものであることとは対照的に、ここでの修羅は、偏在する光の中をゆく孤独な闇としての自我である」

團十郎の歌舞伎案内

市川團十郎「團十郎の歌舞伎案内」

前半は初代からの團十郎の歴史、後半は芸能としての歌舞伎の概説。十二代目團十郎自身の歌舞伎観や先代との思い出も語られていて、単なる入門書にはとどまらない内容。歌舞伎と、能や人形浄瑠璃など歌舞伎へと続く芸能に対する深い敬意が感じられる。

團十郎こそが歌舞伎の歴史であるという自負と謙虚さを兼ね備えた生き方。掛詞をいかに現代に通じるものにするかなどの問題意識も綴られている。

ニール・ヤング自伝 Waging Heavy Peace

「ニール・ヤング自伝」

 

ニール・ヤング初の自伝。自伝とはいうものの、全然時系列になっていない、とりとめのない文章がこの人らしい。音楽活動の思い出を軸としつつ、音質へのこだわりや、趣味の車、鉄道模型などなど、思いつくまま書き連ねていったかのよう。

「お察しの通り、わたしは自分の思考をほとんどコントロールできない。今までのところ、書き直しをしたのはほんの1パラグラフほどだ」
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ハムレット

シェイクスピア「ハムレット」

堂々巡りをする復讐者、ハムレット。今読むと悲劇というより一種の不条理劇という印象が強く、安易な共感は寄せ付けない。長い独白で表現されるハムレットの心境、登場人物のほとんどが一気に死んでいく終盤の構成も圧巻。

きもの

幸田文「きもの」

明治の末に東京の下町に生れたるつ子。着物の肌触りとともに残った数々の記憶。祖母の姿勢に生きていく上でのたしなみや気構えを学び、姉たちの姿から成長して人が変わっていくことの、両親の姿から生きることの悲哀を感じ、少しずつ成長していく。

何をどう着るかは、どう生きるかの現れでもある。「崩れ」でも感じたが、幸田文の感性の鋭さと、それを文章で表現する際の瑞々しさは全く古さや老いを感じさせない。江戸っ子の気風のようなものかもしれない。終盤の関東大震災の描写もとても現実感を持って迫ってくる。

脳はこんなに悩ましい

池谷裕二、中村うさぎ「脳はこんなに悩ましい」

脳の話というより、脳を糸口に遺伝子や進化、心のあり方など、色々な話を行ったり来たり。つまみ食い的な内容だけど、興味深いエピソードが山盛りで読み応えあり。池谷裕二と中村うさぎは一見不思議な組み合わせだけど、話がかなりかみ合っていてレベルの高い対談本。下ネタも思ったほど無い。

ヘンリー四世

シェイクスピア「ヘンリー四世」

英国版“大河ドラマ”で、物語そのものは少し冗長に感じるものの、過剰に饒舌なセリフのかけあいが魅力的。ダメ騎士フォルスタッフを描くために物語がある。特に一見蛇足にも思える第2部の存在にその印象が強い。

一の糸

有吉佐和子「一の糸」

芸道一筋に生きた文楽三味線弾きの露沢徳兵衛と、その後添えとして生涯をささげた酒屋の箱入り娘の茜の一生を、敗戦、文楽会の分裂、鶴澤清六と山城少掾の決別など、現実の出来事をモデルに交え描いた長篇小説。
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