マシアス・ギリの失脚

池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」

物語の筋は既にタイトルに示されている。神話も含めて一つの世界を作り上げる試み。

著者自身が「百年の孤独」のようなものを書きたかったと別の場所で書いていたが、「族長の秋」「予告された殺人の記録」を思わせる部分もある。ただ全体としては、ガルシア・マルケスのようなものを書こうとして、結果的に辿り着いたのは別の物という印象が強い。池澤夏樹の思想、世界観がはっきりと示されていて、日本を“宗主国”とする架空の島国を通じて、日本を描いた作品とも言える。

カンガルー・ノート

安部公房「カンガルー・ノート」

かいわれ大根が脛に生えてきた男の地獄巡り。脈絡の無い、物語の飛翔の仕方が夢のよう。ただ意味不明なだけでなく、ちゃんと夢の論理のようにストーリーとスピード感があるのが凡百の前衛小説とは決定的に違う。

高校生のころに読んだ時にはなんとなく面白いという印象しか残らなかったが、今回はあまりに濃厚な死の雰囲気に胸が詰まった。病床の安部公房の夢が駆け巡った“枯野”なのだろう。
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方舟さくら丸

安部公房「方舟さくら丸」

久しぶりに再読。

採石場跡に築いた巨大な地下シェルターで引きこもりのように暮らし、その“方舟”で滅亡後の世界を生き延びる仲間を探す男。わずかに湿り気のあるような、不快さを帯びた文章。人間の残忍さ、薄情さ、不安定さ、論理的であることの醜悪さ、現世の気持ち悪さを偽悪的にならずに書き得た希有な作家だったと改めて感じる。
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喜劇の手法 笑いのしくみを探る

喜志哲雄「喜劇の手法 笑いのしくみを探る」

「喜劇」は笑いを追求する他の芸能とは違う仕組みを持っている。考察は少なく、あらすじと構造の紹介が続いて読み物としてはちょっとしんどいが、名作と呼ばれる作品がいかに巧みに構築されているかが分かる。

観客が作品内の情報を、どの段階で、どの程度掴むのか。劇と観客の距離によって、同じ出来事が喜劇にも悲劇にも映る。
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東京原子核クラブ

マキノノゾミ「東京原子核クラブ」

理研時代の朝永振一郎博士をモデルに、戦争へと進んでいく時代の青春を描く。史実をもとにしつつも、決して“戦争もの”ではないし、評伝でも無い。仁科研の二号研究自体も既によく知られているため、科学と戦争や倫理の問題を描いた作品としての目新しさも無いけど、ストレートな青春群像劇として心に残る。最後まで爽やかさを失わず、時代に関係なく、そこに生きた人々にとって、自分だけの悩みや喜びを抱えたかけがえのない日々があったことが、すっと心に染みる。

家郷の訓

宮本常一「家郷の訓」

宮本常一の代表作の一つ。地域社会で子供がどう育てられたのか、故郷・周防大島での、幼少期の自らの経験をもとに綴った克明な生活誌。一種の自伝ともいえ、ただ静的で、因習にとらわれているだけではなかった村の生活が鮮やかに記されている。
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宮本常一『忘れられた日本人』を読む

網野善彦「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」

文字資料に頼る歴史は、時代を経るごとに社会の多様さを見落としていく。

百姓、女性、老人、子供、遍歴民……日本列島の無文字社会を蘇らせる試みを続けた宮本常一。中世史家の網野善彦がその代表作を読み解く。
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壊れた風景/象

別役実「壊れた風景/象」

別役実の代表作のひとつ「象」。病床で原爆症に苦しみつつも、背中に残るケロイドを人々に見せびらかすことを夢見る男。原爆の悲惨さを扱った作品である以上に、圧倒的な暴力の被害を受けた時、人がどこにアイデンティティを求めて生きていくかの問題を浮き彫りにしている。
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