色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

村上春樹としては驚くほど“分かりやすい”作品。

これまでの中~長篇は、どれも文章にも物語にも、調和を崩す、解釈を拒むような要素や表現があったが、それがない。昔の作品のように喪失感や疎外感を書きながら、その先を書いている点で、過去の作品とは決定的に違う。かつて書けなかったものを書こうとしているようだ。

村上春樹の現在の立ち位置をはっきりと示している作品と言え、「神の子どもたち~」以降試されてきた三人称にも、今回初めて違和感を感じなかった。

火花 北条民雄の生涯

高山文彦「火花 北条民雄の生涯」

「何もかも奪われてしまって、ただ一つ、生命だけが取り残された」と「いのちの初夜」で書いた北條民雄。

「社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡び方では決してないのです」

癩を病み、23歳の若さで夭逝するまで生きることの恐ろしさを極限化した生を見つめ続けた。その作品は究極の所で、生を肯定する叫びとなった。
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東京ノート

平田オリザ「東京ノート」

美術館の片隅で淡々と続く会話の断片。劇中では明確に説明されないが、ヨーロッパで大規模な戦争が起こり、美術品が日本へ疎開、軍需産業の特需や難民の流入という背景設定が秀逸。

そうした“異常”な社会の日常は現実の日本の日常と変わらない。家族や社会、日常を巡る会話を通して、他者への無関心を直接描かずに鮮明に浮かび上がらせている。

綱大夫四季 昭和の文楽を生きる

山川静夫「綱大夫四季 昭和の文楽を生きる」

昭和を代表する文楽太夫、八世竹本綱太夫。取材者としてよりも、友人として身近に接してきた立場から、「四季」のタイトル通り、折々の思い出が綴られていて、師を愛し、芸を愛したその人柄がよく伝わってくる。

2度にわたって文楽界の分裂の当事者となりながら、配慮の足りなさから周囲に裏切りととられる行動を起こしたことも丁寧に書かれていて、厳しくも、温かい、包み込むような評伝。

芝居の神様 島田正吾・新国劇一代

吉川潮「芝居の神様 島田正吾・新国劇一代」

98歳で亡くなる直前まで芝居に生きた島田正吾の評伝。澤田正二郎の急死から、島田・辰巳柳太郎の二人による黄金期、緒形拳の退団を経て、後継者の不在、低迷、解散に至るまで新国劇の歴史を描く。

解散と辰巳の死去後、島田は新国劇の代表作を一人芝居にアレンジして上演を続けた。生涯を捧げた、という表現がこれほどふさわしく、魅力的な人はいない。

能・文楽・歌舞伎

ドナルド・キーン「能・文楽・歌舞伎」

圧倒的な知識とそれに基づく理解の深さ。能の解説書などで、「幽玄」といった概念は曖昧な説明になりがちだが、原文が英語で書かれているためか、西洋的・分析的な考え方に染まってしまった現代日本人にも分かりやすく書かれている。初心者にとっては最良の概説書だろう。

著者の生き方を見ていると、文化とはただそこにあるものではなく、選び、学び取っていくものだと感じる。
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プロメテウスの罠3

「プロメテウスの罠3 福島原発事故、新たなる真実」

シリーズ3冊目。内容は少しずつ地味になってきたけど、病院や高齢者などの避難のリスク、除染、がれきの処理など、かえって大切なテーマが増えた。

原発爆発後に町民にヨウ素剤を配った三春町については、これまで称賛も含めて表面的な扱いにとどまっていたが、大熊町から避難してきた専門知識のある職員がいて、風向きも見て判断した経緯が明らかにされている。

また、除染でもがれきの広域処理でも電通に巨額の広告代が流れていること、東洋町が最終処分場の調査受け入れ表明をした際に、裏で山師のような人物が動いていたことなどもとても興味深い。

獄門島

横溝正史「獄門島」

60年以上前の作品と思えないほど、古さを感じない。トリックはともかく、見立ても伏線も、日本のミステリーやサスペンスのスタイルがほとんど完成されている。

何より、この村社会の陰鬱な雰囲気は他の作家では出し得ない。気ちがいという言葉が繰り返し出てきて時代を感じるなあと思いつつ、その言葉にも仕掛けが。この言葉遊びは現代ではできない。

赤い高粱

莫言「赤い高粱」

抗日戦争の時代を舞台に、中国山東省に生きた一族の物語。幻想的な高粱畑の描写が続く。

マジックリアリズムとは違うと思うけど、スタイルだけではなく、小説全体にガルシア・マルケスのような雰囲気が漂う。ノーベル文学賞の受賞理由に挙げられた“hallucinatory realism”、幻覚的という言葉が確かにしっくり来る。南米と中国の農村にはどこか風土に通じるものがあるのかもしれない。

以前行ったボリビアやペルーの町は、遠くから見ると荒野に築かれた人の巣のように見える。その風景を思い出した。