宮本常一『忘れられた日本人』を読む

網野善彦「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」

文字資料に頼る歴史は、時代を経るごとに社会の多様さを見落としていく。

百姓、女性、老人、子供、遍歴民……日本列島の無文字社会を蘇らせる試みを続けた宮本常一。中世史家の網野善彦がその代表作を読み解く。
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壊れた風景/象

別役実「壊れた風景/象」

別役実の代表作のひとつ「象」。病床で原爆症に苦しみつつも、背中に残るケロイドを人々に見せびらかすことを夢見る男。原爆の悲惨さを扱った作品である以上に、圧倒的な暴力の被害を受けた時、人がどこにアイデンティティを求めて生きていくかの問題を浮き彫りにしている。
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宮沢賢治 存在の祭りの中へ

見田宗介「宮沢賢治 存在の祭りの中へ」

宮沢賢治は牧歌的なイメージとは裏腹に、作品にもその思想にも自己否定の影が付きまとう。自己否定の先、自我からの脱却の向こうに見えた存在の豊かさ、世界の美しさ。結果的に“デクノボー”として生き抜くことはできなかったが、そこに向けて、存在の祭りの中を歩き続けた。

「近代の自我の原型が、いわば偏在する闇の中をゆく孤独な光としての自我ともいうべきものであることとは対照的に、ここでの修羅は、偏在する光の中をゆく孤独な闇としての自我である」

團十郎の歌舞伎案内

市川團十郎「團十郎の歌舞伎案内」

前半は初代からの團十郎の歴史、後半は芸能としての歌舞伎の概説。十二代目團十郎自身の歌舞伎観や先代との思い出も語られていて、単なる入門書にはとどまらない内容。歌舞伎と、能や人形浄瑠璃など歌舞伎へと続く芸能に対する深い敬意が感じられる。

團十郎こそが歌舞伎の歴史であるという自負と謙虚さを兼ね備えた生き方。掛詞をいかに現代に通じるものにするかなどの問題意識も綴られている。

ニール・ヤング自伝 Waging Heavy Peace

「ニール・ヤング自伝」

ニール・ヤング初の自伝。自伝とはいうものの、全然時系列になっていない、とりとめのない文章がこの人らしい。音楽活動の思い出を軸としつつ、音質へのこだわりや、趣味の車、鉄道模型などなど、思いつくまま書き連ねていったかのよう。

「お察しの通り、わたしは自分の思考をほとんどコントロールできない。今までのところ、書き直しをしたのはほんの1パラグラフほどだ」
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ハムレット

シェイクスピア「ハムレット」

堂々巡りをする復讐者、ハムレット。今読むと悲劇というより一種の不条理劇という印象が強く、安易な共感は寄せ付けない。長い独白で表現されるハムレットの心境、登場人物のほとんどが一気に死んでいく終盤の構成も圧巻。

オセロー

シェイクスピア「オセロー」

妻の不貞を疑い、嫉妬に狂うオセロー。

最もコントロール出来ない感情として、“嫉妬”が物語の中心にあるが、人種や親子、友人、主従……など人間関係のあらゆる問題が詰まっている。だからこそ世界中で何度も何度も再演され続けているのだろう。

「嫉妬というのはひとりで種をはらんでひとりで生まれる化け物です」

セールスマンの死

アーサー・ミラー「セールスマンの死」

働いて、働いて、その先に何があるのか。子への過度な期待は行き場を無くし、職とともに自らのアイデンティティも失われる。夢の終わりを受け止められず、人生が空虚であると認めたくない故に追い込まれてゆく老セールスマン。

これが60年以上前の作品ということに驚く。書かれた時点よりも、世界の変化とともに普遍性を増してきたと思える作品。一方で、これが過去の社会を描いたものと捉えられるような世界になってほしいとも思う。

カリギュラ

アルベール・カミュ「カリギュラ」

「異邦人」「シーシュポスの神話」とともにカミュの不条理三部作の一つに数えられる作品。

“ペスト”として振る舞う皇帝カリギュラ。自由や生の意味を論理的に追い求めることは狂気と紙一重ということが、強烈な印象とともに突き刺さってくる。

「私は論理に従うことに決めた。私には権力がある。論理がどれほど高くつくか、おまえたちはみることになるだろう」

「人間の本当の苦しみはそんな軽薄なものじゃない。本当の苦しみは、苦悩もまた永続しない、という事実に気づくことだ。苦悩ですら、意味を奪われている」