巨流アマゾンを遡れ

高野秀行「巨流アマゾンを遡れ」

アマゾンを河口ベレンから源流のミスミ山まで遡る。といっても密林をかきわけて進むような冒険ではない。アマゾン本流はあくまで人々の生活の場。町から町へ、人から人へと繋がっていく旅。著者が大学生の頃にまとめた旅行記で、少し肩に力が入った感じの文章も面白い。

自分も大学の頃に南米を一ヶ月半ほど旅したけど、アンデス地域のみだった。こんな旅もしてみたかった。

春のめざめは紫の巻 新・私本源氏

田辺聖子「春のめざめは紫の巻 新・私本源氏」

須磨から帰ってきた光の君。といっても「私本・源氏物語」の単純な続編ではなく、玉鬘や女三宮ら女性側の視点で描かれ、設定が変わっている部分もある。未だ絶大な人気を誇りながら、若い姫からは「色男の化石」「オジン」と呼ばれてしまう光の君が哀愁漂って何とも面白い。男性視点だった前作よりも登場人物が皆いきいきしていて魅力的。

私本・源氏物語

田辺聖子「私本・源氏物語」

もし源氏物語が現代の娯楽小説や漫画として書かれていたら、あるいは近世以降の草双紙で書かれていたら、こんなノリかもしれない。光の君を従者の目から描き、雅という視点に囚われず、好色という要素をうまく抽出して思わず笑ってしまう面白い小説に仕上げている。登場人物のキャラが立っていて皆魅力的。いい意味で突っ込みどころ満載。

単独行

加藤文太郎「単独行」

“孤高の人”として知られる加藤文太郎(1905~36)。戦前、パーティーを組むのが常識だった登山に単独で挑み、冬季槍ケ岳などで数々の単独登頂記録を残して「不死身の加藤」とも呼ばれた。
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ゲルマニウムの夜 ―王国記1

花村萬月「ゲルマニウムの夜 ―王国記1」

過激な暴力、性描写と書くと、よくある純文学の一分野の気がしてしまうが、これはグロテスクさで一つ突き抜けている。修道院を舞台に神を冒涜するかのような行為が重ねられていくが、それは宗教の欺瞞を露わにしながら、同時に信仰の悦楽に対する研究となっている。過激な描写はあくまで表面的なもので、その核にあるモチーフは古典的な印象。

弾左衛門とその時代

塩見鮮一郎「弾左衛門とその時代」

穢多頭、長吏頭として江戸期の被差別民を統率した「弾左衛門」。最後の弾左衛門(13代目、弾直樹)の生涯と、初代が関八州を家康から任せられるようになった経緯の考察が中心。

特に明治の解放令に直面した13代目の話が興味深い。被差別民の解放は、土地の商品化や皮革産業における特権の解体など、資本主義の要請と一体だった。身分制度は、差別意識のみが歪んだ形で次の時代に残ってしまった。

OL放浪記

わかぎえふ「OL放浪記」

さまざまな職場でのOL経験から、中島らも事務所の人間模様まで、売れない役者だったころの日々を綴ったエッセイ。90年前後の話で、職場の雰囲気に時代が感じられて面白い。普段気にとめないけど、世の中(いい意味で)変な人が多い。それを一つ一つ噛みしめることができれば、日々はもっと鮮やかになる。そんなことを思わされた。

遡行 -変形していくための演劇論

岡田利規「遡行 -変形していくための演劇論」

チェルフィッチュ主宰、岡田利規の演劇論。過去の作品を挙げつつ、演劇観や演出手法の変化を振り返っていく。過去から現在へ、ではなく、1作ずつ過去に遡っていく書き方が新鮮。「今」が作られる過程を演出しないぶん、今の姿はぼやけつつも、かえって正直な印象を受ける。

「三月の5日間」など初期の作品が最後に来るため、当初の問題意識がより際立つ。言葉があって仕草があるのではなく、役者の中に存在するイメージの下でそれらは併置される。言葉に従属しない動き。役者に求めるものが先行世代とかなり違う。