女形の事

六代目尾上梅幸「女形の事」

明治~昭和初期の名女形、六代目尾上梅幸の芸談。なで肩に見せる工夫など、秘伝の一部を明かしていて、素人が読んでも結構面白い。脱いだ下駄が大きくては変だから、足がはみ出すような小さい下駄を無理矢理履いて、歩くときは着物の裾で隠しておく……など、数え切れないほどの工夫の上に歌舞伎の女形が立っていることが分かる。そして何より、女形である以上、日常から男の前では食事も後ろを向いてする、などの心がけの数々。芸の道に生きるとはどういうことか伝わってくる。

昭和天皇の終戦史

吉田裕「昭和天皇の終戦史」

国体=天皇制を維持するために人々がどう動いたのか。米国の利益と宮中の利益の間で展開される工作はスリリングで、読み物としても引き込まれる。戦争責任、という問いの立て方は不毛な議論に陥ってしまうが、著者はそれを避けつつ、主戦論者だけでなく、理性的な平和主義者の顔をした「穏健派」も告発する。

疑惑

松本清張「疑惑」

保険金殺人の容疑者の悪女っぷりを紙面で書きたてた記者が、無罪判決が濃厚になる中で、復讐を恐れて追い込まれていく。推理小説というほどの仕掛けは無いが、ストーリーテリングの見事さで最後の一行まで緊張感が漂う。

併録の「不運な名前」は藤田組贋札事件についての歴史もの。小説の形をとっているが、薩長の対立や贋造技術についての考察が延々と続くマニアックな作品。「疑惑」と“悪そうな名前を持ったせいで犯人扱い”という共通点があるが、ジャンルとしては松本清張の両極ともいえるほど別の作品で、不思議な組み合わせ。

能を考える

山折哲雄「能を考える」

山折哲雄による能についての随筆集。気付いたことや想像、仮説を綴っているシンプルな内容だが、興味深い視点が多く、考えるヒントがたくさん。仏像と神像の顔つきの違いと「翁」の関係や、世阿弥の息子、元雅についての考察など、能楽や個々の謡曲に対する理解が深まる。特に「弱法師」についての話題は、説経節、浄瑠璃から折口信夫、三島由紀夫へと広がり、芸能の根源に迫っていてスリリング。

千のナイフ、千の目

蜷川幸雄「千のナイフ、千の目」

自伝とエッセイ。蜷川幸雄の仕事は現代の「演出家」という枠を超え、芸術のジャンルが細分化される前の、非日常の空間を提示するという原点に迫るスケールの大きさを感じる。だからこそ、そのフィールドは商業演劇でなくてはならなかったのだろう。五十代のころの文章だが、きっと今もその芯はほとんど変わっていない。80歳を目前になお新しい空間を生み出し続ける、その創造力が何に支えられているのか、なんとなくわかった気がする。

サド侯爵夫人・わが友ヒットラー

三島由紀夫「サド侯爵夫人・わが友ヒットラー」

サド侯爵を周囲の女性から描く三島由紀夫の戯曲。三島自身が解題で書いているように、日本で特異に発達した“翻訳劇演技”を逆手にとって豊穣な台詞を語らせている。詩のような言葉が続き、対話というより語り、様式美の世界。意識してこのような作品を書ける三島の超絶技巧にため息が出る。

併録の「わが友ヒットラー」は「サド侯爵夫人」ほどの衝撃は無いが、分かりやすく、スリルのある政治劇。粛正されるレームへの共感が滲んでおり、三島の政治観とともに人生観も垣間見えて興味深い。

すき・やき

楊逸「すき・やき」

高級すき焼き店で働く中国人留学生の日常を、さらっとしたタッチで描く。変な装飾の無い文章が、やわらかく、読んでいて気持ちがいい。ほほえましい恋愛要素もありつつ、普遍的なコミュニケーション論にもなっている。大学での韓国人留学生とのちぐはぐな日本語会話が面白い。ピュアすぎる気もするけど、主人公が魅力的で万人にお勧めの一冊。

遠野物語remix

京極夏彦「遠野物語remix」

京極夏彦が遠野物語を現代語にしてリミックス。原文が平易で現代語訳があまり必要無い作品だが、並び替えと意訳で読みやすくなっている。一方、京極夏彦の特徴的な文体が、小説、フィクションの雰囲気を強くしてしまっているきらいもある。それでも、人と自然の関係が密接で、理解できない世界が日常のすぐ隣に横たわっている感覚、こうした世界に人は生きてきたのだろうと感じさせる原作の強い力は失われていない。

署名人/ぼくらは生れ変わった木の葉のように/楽屋

清水邦夫「署名人/ぼくらは生れ変わった木の葉のように/楽屋」

清水邦夫の初期の戯曲3編。代表作「楽屋」と処女作「署名人」は、シンプルだが、独特なテンポで交わされる鋭い言葉のやりとりに中毒性がある。闖入者が取り込まれて逃げ出せなくなる「木の葉のように」は、安部公房の「友達」を逆転させたような怖さがあって面白い。

歌舞伎 型の真髄

渡辺保「歌舞伎 型の真髄」

動きから衣装、化粧、舞台美術、さらには役の内面まで歌舞伎の演目には複数の型がある。近代の舞台芸術なら演出家に従属する要素が、個々の役者に備わるのが面白い。だからこそ、歴代の役者の解釈と美意識の膨大な蓄積を芸として抱えることができる。

さまざまな役の型の違いを比較し、その型が生まれた経緯が分かる教科書のような本だが、歌舞伎初心者の自分はここに出てくる演目の3分の1もまだ見たことがないため、具体的な場面が浮かばないのが残念。