沢木耕太郎「旅する力―深夜特急ノート」
自伝的エッセイであり、「深夜特急」のこぼれ話を集めた1冊。本編から20年以上を経た08年の刊。どうして旅に目覚めたのかから、初めての一人旅、旅に出る前の仕事、なぜ「深夜特急」を書いたのか――と、あらゆる質問に答えるように、誠実に丁寧に自分を語っている。
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読んだ本の記録。
沢木耕太郎「旅する力―深夜特急ノート」
自伝的エッセイであり、「深夜特急」のこぼれ話を集めた1冊。本編から20年以上を経た08年の刊。どうして旅に目覚めたのかから、初めての一人旅、旅に出る前の仕事、なぜ「深夜特急」を書いたのか――と、あらゆる質問に答えるように、誠実に丁寧に自分を語っている。
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カーラ・パワー「コーランには本当は何が書かれていたか?」
これまで訪れた土地の中でも、パキスタンやシリアといった保守的なイスラム地域こそが最も人が親切で、さらにこちらの思想や信仰にも寛容だったのはなぜかという疑問に答える一冊だった。
邦訳書にありがちな大胆なタイトルが付けられているが、原題は”If the oceans were ink”。コーランの解説書ではない。米国人ジャーナリストが、保守的なイスラム学者であるアクラム・ナドウィー師のもとに通い、コーランを学ぶ。その過程で出会った文化の相違や、さまざまな疑問を丁寧に綴っており、著者と読者が同じ道を歩くことができる優れたルポとなっている。
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中島らも「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」
進学校で落ちこぼれていった日々から、フーテン時代までを振り返るエッセイ集。躁鬱やアルコール依存のイメージ、夭逝したこともあって型破りな人という印象が強いが、文章は柔らかく、温かい。それは、自身の弱さを隠さず、人の弱さを否定しないからだろう。自殺した友人について書いた文章が特に心に残る。
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村上春樹「若い読者のための短編小説案内」
ガイドというより、それぞれの作品をどう読むかということを作家としての立場から綴ったエッセイ。すぐれた書評・読書案内であると同時に、読み物としても面白い。 “純文学”をどう楽しむか。「仮説を立てて読む」ということの喜びが冒頭に書かれている。仮説というと大げさに聞こえるが、確かにその通りで、それが可能なだけの奥行きを持つかどうかが、ただの散文か文学かの境目だろう。
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角幡唯介「探検家の憂鬱」
エッセイ集。冒険中の下半身事情という軽いものから、なぜ冒険するのか、という根源的な問いに対する考察まで。特に現代における冒険の意味については繰り返し触れている。飛行機で南極点も北極点も行ける時代、冒険は個人的な物語にならざるを得ない。航路の開拓といった大義や、未踏の地への初到達も、もはや無い。なぜ冒険するのか、なぜ旅するのか、なぜ山に登るのか。その問いと行為が切り離せなくなり、旅行記もただ体験を書くだけでは意味がなくなっている。著者の「雪男は向こうからやって来た」「空白の五マイル」は現代の冒険記として秀逸だと感じたが、それがどのような思考に裏打ちされているのか分かった。
石川直樹、須藤功、赤城耕一、畑中章宏、宮本常一「宮本常一と写真」
宮本常一の写真は決して上手な写真ではない。自身の影や被写体と関係の無いものがよく写り込んでいる。ただ、どこかひかれるものがある。
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