ボブ・ディラン自伝

「ボブ・ディラン自伝」

自伝といっても、ぱっと読んだだけではいつのことか分からない部分も多く、決して親切とは言えない内容がこの人らしい。

代弁者と言われることへのいらだち、隠遁生活から「新しい夜明け」への第3章、ダニエル・ラノワとの「オー・マシー」を振り返った第4章などが具体的に語られている一方で、エレクトリックへの転向など、外から見た転機についてはほとんど触れていない。
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枯木灘

中上健次「枯木灘」

再読。中上健次の他の作品はよく読み返してきたが、代表作とも言えるこの作品は高校のころ以来かも。当時、なぜ自分がこの作品に強く惹かれたのか、そして今読んでもなぜ心が揺さぶられるのか分からない。文章は、冗長で、くどい。ただ、そこに胸が詰まるほどの切実さがある。

この小説に物語は書かれていない。書かれているのは、登場人物の行動とさらに思考も含めて、全てが情景描写にすぎないと言える。ただ、その背後に、豊穣で、読み手を痛みとともにその中に引きずり込む物語が存在している。

爪と目

藤野可織「爪と目」

二人称という難しい形式を、娘から継母への視点で巧みにまとめあげている。しかも幼少期の出来事を語ることで3歳児のまなざしと重ね、そこに計り知れない敵意、悪意、あるいは諦観のようなものを感じさせる。まるで自分の無い大人の描写も気味が悪い。ただ併録の2編も含めて、書かれている内容や雰囲気の割には、なぜこれを書くのか、書かざるを得ないのかという、作品に対する切実さのようなものはあまり感じられなかった。

勘九郎とはずがたり

「勘九郎とはずがたり」

先年亡くなった十八代目中村勘三郎の勘九郎時代の芸談。30代半ば、語りそのままの文章で、結構生意気なことを言っているのに、なぜか許せてしまう軽妙な人柄がとてもよく出ている。正直で、何を差し置いてもとにかく歌舞伎が好きという気持ちが伝わってくるからだろう。

いつか孫と……というくだりが切ない。勘三郎の名跡を復活させた偉大な先代で、気分屋だったという父、十七代目についてのエピソードが面白い。

ゆれる

西川美和「ゆれる」

当人たちも目を反らしてきた兄弟間の微妙な感情が、ある事件を機に露わになる。どんな関係でも、好意を持っている相手にでも、人と人との間には隠したい醜い思いもつきまとう。嫉妬や羨望、苛立ち、軽蔑、生理的な嫌悪……

この小説版は登場人物がそろって饒舌すぎる気もするけど、一人一人の語りを通じて秘められた感情を剥き出しにしていく手法は巧み。どこか嫌な、見たくないものを見た感じが残る。

松緑芸話

「松緑芸話」

二代目尾上松緑の芸談。七代目幸四郎の三男で、長兄が十一代目團十郎、次兄が八代目幸四郎。六代目菊五郎に預けられたことで、音羽屋と、さらには九代目團十郎の芸を継ぐことになる。前半は幼少期から戦争体験を経ての半生記。兄たちの人柄など貴重な証言で、かつ面白い。中盤からは各演目の見せ方の工夫など。「一谷嫩軍記」の團十郎型、芝翫型の違いなどが興味深い。
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家族喰い ―尼崎連続変死事件の真相

小野一光「家族喰い ―尼崎連続変死事件の真相」

疑似家族を精神的に支配し、血縁同士で暴力を振るわせ、親族の財産まで搾り取る。逃げ出しても追いかけ、気に入らなければ殺してしまう。

何より恐ろしいのは、普通の環境の、普通の感覚を持った人たちがちょっとした因縁で巻き込まれ、まともな生活も大人としての矜持も失ってしまうということ。
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一条さゆりの性

駒田信二「一条さゆりの性」

伝説的ストリッパー、一条さゆりを描いた随筆のような小説集。かなり生々しい描写を含むが、なぜか温度の感じられない不思議な文章。作者の駒田信二が一条さゆりの激しい人生をあたたかく見つめているようでいて、むしろ、作家のまなざしを一条さゆりがあたたかく受け止めているように思える。そして、一条さゆりが感じている生きづらさに、読み手も自らのしんどさをどこか重ねてしまう。

せんべろ探偵が行く

中島らも、小堀純「せんべろ探偵が行く」

千円でべろべろ、略してせんべろ。大阪から始まる、ゆるーい大衆酒場紀行。この飲み歩きの少し後に中島らもは亡くなってしまう。既に身体はぼろぼろだったのだろう。体調不良を伺わせる描写があちこちに出てくるが、飄々とした不思議な魅力を放っている。彼の存在感、なぜ人を引きつけたのかが伝わってくる一冊。