プロメテウスの罠3

「プロメテウスの罠3 福島原発事故、新たなる真実」

シリーズ3冊目。内容は少しずつ地味になってきたけど、病院や高齢者などの避難のリスク、除染、がれきの処理など、かえって大切なテーマが増えた。

原発爆発後に町民にヨウ素剤を配った三春町については、これまで称賛も含めて表面的な扱いにとどまっていたが、大熊町から避難してきた専門知識のある職員がいて、風向きも見て判断した経緯が明らかにされている。

また、除染でもがれきの広域処理でも電通に巨額の広告代が流れていること、東洋町が最終処分場の調査受け入れ表明をした際に、裏で山師のような人物が動いていたことなどもとても興味深い。

テロルの決算

沢木耕太郎「テロルの決算」

17歳のテロリストと左派の老政治家。演説会の壇上で山口二矢の短刀が浅沼稲次郎の胸を貫く一瞬まで、二人の人生を丁寧に描いたノンフィクション。

山口二矢の心情だけでなく、“庶民”として戦争協力の道を歩まざるを得なかった苦悩など、浅沼の評伝としても非常に興味深い。

一つの事件を扱ったノンフィクションとしては、これ以上のものは書き得ないのでは。新聞でも何でも、加害者の報じ方の安っぽさと想像力の欠如が、被害者の人生をも貶めている。

獄門島

横溝正史「獄門島」

60年以上前の作品と思えないほど、古さを感じない。トリックはともかく、見立ても伏線も、日本のミステリーやサスペンスのスタイルがほとんど完成されている。

何より、この村社会の陰鬱な雰囲気は他の作家では出し得ない。気ちがいという言葉が繰り返し出てきて時代を感じるなあと思いつつ、その言葉にも仕掛けが。この言葉遊びは現代ではできない。

サイエンス・インポッシブル SF世界は実現可能か

ミチオ・カク「サイエンス・インポッシブル SF世界は実現可能か」

フォースフィールド、ライトセーバー、デススター、テレポーテーション、不可視化、念力……SFに出てくる技術が実現可能か、物理学の立場から本格的に考察した一冊。永久機関と予知能力以外は物理法則には反しないとして、実現のための課題を解説している。

ほとんどの技術は莫大なエネルギーをいかに調達し、制御するかの問題につきる。後半になるにつれて科学の門外漢には少し難しくなるけど、とても刺激的な一冊。

ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年

奥野修司「ねじれた絆 赤ちゃん取り違え事件の十七年」

出生直後に病院で取り違えられた二人の少女とその家族の17年にわたる克明な記録。

血液検査がきっかけで取り違えが発覚した後、両家族は小学校入学を目前に再び子を交換する。6年の月日は重く、子供たちは実の親にも新しい環境にも馴染めず、互いの家庭を行き来する不安定な交流が続く。
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2100年の科学ライフ

ミチオ・カク「2100年の科学ライフ」

2100年、科学はどこまで進歩し、ライフスタイルはどう変わっているか。医療やナノテクノロジー、エネルギー、宇宙開発などの分野について、現在の課題と今後の発展を考察した一冊。

シリコンに替わる素材や並列処理でムーアの法則の終焉を避けられるのか、パターン認識と常識を人工知能に盛り込むことができるのか、宇宙開発におけるコストの問題…などなど。
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空白の天気図 核と災害1945・8・6/9・17

柳田邦男「空白の天気図 核と災害1945・8・6/9・17」

原爆投下と終戦を挟んだ混乱期、1日も欠かすこと無く観測業務を続けた広島気象台の台員たち。通信も設備も壊滅した中で天気図は描けず、予報業務も行えなかった。9月17日の枕崎台風は、広島で上陸地の九州よりはるかに多い約2千人の死者行方不明者を出す。
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A3

森達也「A3」

何も解明されないままほぼ終結したオウム裁判。独房で糞尿を垂れ流し、面会時には自慰行為に及ぶ……麻原は公判の途中で訴訟能力(責任能力ではない)を失っていたのではないか。

裁判に限らず、オウムはあたかも“例外”として扱われ、信者には建前の人権すら認められない。懲罰感情ばかりが先走りする社会に著者は異議を唱える。
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原発のコスト ‐エネルギー転換への視点

大島堅一「原発のコスト ‐エネルギー転換への視点」

原発のコストは、電力会社にとっては確かに安い。それはコストとリスクを未来へ先送りすることと、発電に直接関わる費用以外を、電源三法交付金などで国の負担とすることで、経営の外側に追いやっているからだろう。事故に伴う賠償コストを除いたとしても、本来なら使用済み核燃料などのバックエンドコストや高速増殖炉などに費やされる関連コストは考慮に入れないといけない。

もちろん原発を無くしても、これらの関連コストはすぐに解消されず、短期的には化石燃料の焚き増しや自然エネルギーの開発コストも含めて非常に高くつくことになる。ただ原発が安いという欺瞞のもとに政策を進めていくのではなく、本来のコストとリスクを見極めて判断していく必要がある。