こんな夜更けにバナナかよ

渡辺一史「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」

人工呼吸器をつけながら、親元を離れて自由に生きることを求める鹿野さんと、それを24時間体制で支えるボランティア。介助する側とされる側が互いの関係を問い続けたことが、“自立”生活を可能にした。

美談でもアンチ美談でもない、著者自身の悩みも含めた誠実な筆致が印象的。
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こちらあみ子

今村夏子「こちらあみ子」

少しずつ、周りから浮いていってしまうあみ子の目に見える世界。ADHDやLDといった重いテーマに、救いも無い展開だが、説明の少ない描写がかえって鮮やかさを感じさせる。

併録の「ピクニック」を読むと、当たり障りのない遠ざけるような優しさが、誰かの居場所を擦り減らしていく、その感覚が表題作も含めて作者の根底にあるように感じる。

TOKYO 0円ハウス 0円生活

坂口恭平「TOKYO 0円ハウス 0円生活」

隅田川沿いで暮らす「鈴木さん」。建材は全て拾い物、電気は不要バッテリーをガソリンスタンドで貰い、収入源のアルミ缶は拾うのではなく契約したマンションや家庭から回収する。徹底した合理性と生活を楽しむ知恵。都市の隙間で生き、文字通り“ホーム”のある“ホームレス”。自分で工夫して住まいを作るそのスタイルは、出来合いのものを選ぶだけの自由しかない現代で、より人間本来の生き方に近いように思える。住まいとはなんだろうと考えさせられる。

将棋の子

大崎善生「将棋の子」

プロ棋士を目指した少年のその後を訪ねたノンフィクション。

奨励会に所属し、26歳までに四段という厳しい昇段規定を達成できなければ、プロになる道はほぼ完全に閉ざされる。誕生日を迎えるたびに募る焦燥感。わずか一手の差から、青春のほとんどすべてをかけた夢が破れていく。その時、どう生きていくのか。
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民藝とは何か

柳宗悦「民藝とは何か」

本当の美は日用品の中にこそ宿る。昭和初期に民藝運動を提唱した柳宗悦。歯切れが良く、読んでいて気持ちが良い。

「なぜ特別な品物よりかえって普通の品物にかくも豊かな美が現れてくるか」 「前者の有想よりも後者の無想が、より清い境地にあるからです。意識よりも無心が、さらに深いものを含むからです。主我の念よりも忘我の方が、より深い基礎となるからです。在銘よりも無銘の方が、より安らかな境地にあるからです。作為よりも必然が、一層厚く美を保証するからです。個性よりも伝統が、より大きな根底と云えるからです。人知は賢くとも、より賢い叡智が自然に潜むからです」
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痴呆を生きるということ

小澤勲「痴呆を生きるということ」

痴呆について語られることは多いが、痴呆を病む人たちが何を見て、どう感じ、どのような世界に生きているかが語られることはほとんど無い。

記憶障害などの避けられない中核症状と、妄想や徘徊など、環境や個人によっても左右される周辺症状。認知レベルの障害が進んでも、「わたし」の情動性は保たれ、それが痴呆の当事者を瀬戸際に追い込んでいく。

一方、信頼で結ばれた援助者や環境が「認知の補装具」を提供できれば、多くの不自由は乗り越えられる。当事者の心に寄り添おうとする著者の視線はとてもやさしい。

宗教で読む戦国時代

神田千里「宗教で読む戦国時代」

カトリック宣教師が直面した中世日本の仏教と「天道」思想。キリスト教と似た側面にとまどいつつも、悪魔が拵えたものと非難した排他性が追放令につながっていく。

宗教一揆として知られる一向一揆は政治的な対立に宗徒が動員されただけで、権力者は宗教を利用しようとはしても、弾圧に熱心だったわけではない。信長対本願寺も捏造も含めて事後的に語られたもので、信長は宗教的には常識人だったという。

中世日本の精神性を理想化しすぎている気もするけど、かなり面白い。戦国大名の切った張ったばかりが注目されるけど、中世は文化史が熱い。

パワー 西のはての年代記Ⅲ

アーシュラ・K・ル=グウィン「パワー 西のはての年代記Ⅲ」

「西のはての年代記」第3作。類まれな記憶力と未来を見る能力を持ち、“幸福”な奴隷として学問を修めた少年ガヴィア。逃亡奴隷が築いた町も、人が人を支配する“力”が存在し、理想郷ではなかった。

自由とは何なのか。幸福を与えられることの欺瞞。前2作と違い、孤独で長い旅が描かれる。
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中世の東海道をゆく ―京から鎌倉へ、旅路の風景

榎原雅治「中世の東海道をゆく―京から鎌倉へ、旅路の風景」

飛鳥井雅有(鎌倉時代の公家)の日記などの文献資料をもとに、“五十三次”以前、中世の東海道の姿を考察する。

日記の記述と合わせ、当日の潮汐推算までして地形や通過時間を割り出す分析はかなりマニアック。海沿いに平野が広がっていたというよりも多くの湖沼が点在していたことや、木曾川がかつては別の川を指していたとの指摘、浜名湖が明応地震以前から海水が逆流する汽水湖だった可能性など、かなり面白い。

和歌一つとっても、ただ言葉を捉えるだけでなく、当日の場所と状況を細かく分析することで違う姿が見えてくる。文献研究とはこれほど奥深いのか。

周防大島昔話集

宮本常一「周防大島昔話集」

宮本常一が祖父や両親から聞いた話を中心にまとめた昔話集。ブラッシュアップされていない、聞き取ったままの昔話はオチも教訓もないものが多いが、そのシュールさが面白い。解釈を拒むのが本来の物語の有りようなのだろう。他の地域や落語と共通するような話もあって興味深い。
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