食肉の帝王

溝口敦「食肉の帝王 同和と暴力で巨富を掴んだ男」

補助金詐欺事件が明るみに出るまでメディアでもほとんど取り上げられることのなかった食肉業界のドン、浅田満。政・官・行・暴・同和に独自のネットワークを築き、アンタッチャブルな存在として肥え太っていく。
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十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争

峯村健司「十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争」

権力闘争のドキュメント。毛沢東と劉少奇、華国鋒と鄧小平、江沢民と胡錦濤……、政治と権力闘争は切っても切り離せない関係だが、中国共産党のそれは民主国家の想像を遥かに上回る。
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最後の晩餐

開高健「最後の晩餐」

食談。開高健はとにかく文章が優れている。くどいようで軽妙自在。とらえどころの無い脱線をする豊かな知識。「女と食が書けたら一人前」という文壇の格言に対し、戦争などの極限状態を扱った作品以外で食がまとも描かれたことがないと鋭い指摘をしつつ、開高の筆は「筆舌に尽くせない」に逃げない。高級料理から唐代の喫人まで果敢に遡上にあげていく。所々に挟まれる安岡章太郎や遠藤周作、吉行淳之介といった作家仲間の馬鹿話が面白い。

眠れない一族 −食人の痕跡と殺人タンパクの謎

ダニエル・T・マックス「眠れない一族 −食人の痕跡と殺人タンパクの謎」

中年期に発症し、不眠状態から死に至る「致死性家族性不眠症」。その遺伝病に代々苦しめられてきたイタリアの一族の物語を軸に、スクレイピー、BSE、クロイツフェルト・ヤコブ病、クールーなどのプリオン病の歴史と、それに迫る科学者たちの姿を描く。
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移民の宴

高野秀行「移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活」

在日外国人の「食」を訪ね歩いたルポ。取材相手の出身国はタイ、イラン、フィリピン、スーダンと多岐にわたる。彼らがふだん食べているのは日本食? それとも母国の料理? それなら食材はどこで手に入れているのだろう? 身近に住んでいても意外と知らない食生活。食はそのコミュニティーのありのままの姿を映し出す。
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大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし

山川静夫「大向うの人々 歌舞伎座三階人情ばなし」

劇場の三階席後方から声をかける「大向こう」。静岡から上京した著者は大学時代に歌舞伎にはまり、自らも大向こうになる。タイミング良く声をかけるには話の筋を覚えているだけでなく、義太夫や長唄の知識も不可欠。それは趣味というより一つの芸、生き様に近い。
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チェルノブイリの祈り ―未来の物語

スベトラーナ・アレクシエービッチ「チェルノブイリの祈り ―未来の物語」

昨年のノーベル文学賞受賞作家。“チェルノブイリ後”を生きるベラルーシの人々の聞き書き。事故後の収束活動にほぼ強制的に動員された予備役の兵士達、夫を失った妻、先天的な病を持つ子を抱える母、 疎開先で差別された子、残された動物を殺して回った猟師、避難区域に戻って暮らすサマショールの人々…。読んでいて胸が締め付けられる。
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生きて帰ってきた男

小熊英二「生きて帰ってきた男 ―ある日本兵の戦争と戦後」

著者の父の半生を聞き取りでまとめたもの。小熊英二の父、謙二は敗戦後にシベリアに抑留された経験を持つが、その生涯は平均的なもの(それは典型的なイメージ通りの人生ということを意味しない)で、決してドラマチックではない。だからこそ、一人の個人史から時代を描く試みが成功している。
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妻を帽子とまちがえた男

オリヴァー・サックス「妻を帽子とまちがえた男」

さまざまな神経疾患の症例を紹介した本。人の顔を顔として認識できなくなり(相貌失認)、タイトル通り妻を帽子と間違えるようになった男性を始め、短期の記憶が一切保持できず、何十年も前の時点で世界が止まっているコルサコフ症候群の男性や、「左」が視覚としても概念としても欠落した女性など。興味本位で読み始めたが、人間とは何か考えさせられる内容だった。
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ふたり 皇后美智子と石牟礼道子

高山文彦「ふたり 皇后美智子と石牟礼道子」

2013年の水俣訪問を中心に、他者の悲しみに感応する「もだえ神」としての天皇皇后と石牟礼道子の姿を描く。

著者の北条民雄や中上健次の評伝が素晴らしかったので、そのレベルを期待していたら、ちょっと期待とは違う内容だった。水俣病闘争史に関しては「苦海浄土」の第二、第三部や渡辺京二の著書をもとに書かれた部分が多く、石牟礼道子という存在に対しても、取材者として踏み込むというより、友人としての描写にとどまっている。ただそのぶん人柄が伝わってくる貴重な一冊でもある。
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