女形とは ‐名女形 雀右衛門

渡辺保「女形とは ‐名女形 雀右衛門」

歌舞伎の特徴でもある女形。男が女を演じること自体は神事に由来する芸能では珍しくないが、現代にも根強く残るのには、そこに何か人をひきつけるものがあるということだろう。若さを失い、晩年になるほど輝きを増す、グロテスクと紙一重の美しさ。名女形と呼ばれた四代目中村雀右衛門の当たり役、所作の一つ一つを解きほぐしていく。歌舞伎初心者の自分にとっては見たことがない演目ばかりで正直細かな部分までは分からないが、女形の美しさがどこから来るのかおぼろげに伝わってくる。

桂吉坊がきく藝

桂吉坊「桂吉坊がきく藝」

当時20代半ばの若手落語家、桂吉坊が、茂山千作や竹本住大夫、宝生閑、坂田藤十郎、市川團十郎ら、各界の錚々たる名人の話を聞いたもの。芸に対する貪欲な好奇心と真摯な姿勢がうまく話を引き出していて、レベルの高いインタビューとなっている。住大夫の「声でなく息で変える」など、名人芸の神髄が分かる。

歌舞伎 家と血と藝

中川右介「歌舞伎 家と血と藝」

師弟関係や養子縁組が複雑に入り組む歌舞伎の世界。家と血と芸がどう継承されているかを追っただけなのに、むちゃくちゃ面白い。中村勘三郎家が実質17代目に始まることや、松本幸四郎家の存在感、坂東玉三郎の奇跡、何人もの不遇の役者など、名跡がどう受け継がれているかだけではその全貌は見えてこない。著者自身が王朝や帝制という言葉を使っているように、後継問題を通して繁栄と衰退を繰り返すさまは世界史の縮図のよう。こうした舞台の背後の文脈は他の芸術では余分なものと考えられるが、歌舞伎では大向うから掛かる声が役名ではなく屋号や代数であるように、欠かせない要素なのだろう。歌舞伎入門にもお勧めの一冊。

文楽の歴史

倉田喜弘「文楽の歴史」

操芝居から人形浄瑠璃、文楽の成立、発展過程を丁寧に追った概説書。大衆芸能の歴史は文字資料の不足から正確に辿ることが難しいが、三人遣いの成立や、興行への三味線の登場時期などに仮説を交え、かなり分かりやすい通史となっている。凋落と再生を繰り返しつつ、太夫、三味線、人形遣いの三業それぞれの技術の発展、改良で人気を保ち、伝統を築いてきたことがよく分かる。三和会、因会の分裂など、戦後の記述は少なめだが、そのあたりは既に結構な量の本が書かれているので不要と言えば不要か。

近代能楽集

三島由紀夫「近代能楽集」

三島由紀夫が能を現代風に翻案した戯曲集。非常に巧みな翻案で、短編小説よりも短い文章に三島のエッセンスが凝縮されている。能楽の美と三島の美意識が深いところで共鳴しているよう。

解説でドナルド・キーンが書いているように、能は言葉遣いは古くても、内容自体はギリシア古典劇と同様、時代に全く関係が無い。時代を超越した人の情念や美を描いていることがよく分かる。

浄瑠璃を読もう


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橋本治「浄瑠璃を読もう」

浄瑠璃の代表作を読み解く。

歴史上の出来事を題材に、というよりも自由に加筆・改変が可能なパーツとして、好き勝手に物語を組み立てるという作劇法は、現代にも通じる日本の歴史観、物語観かも。

「歴史は、江戸時代という現在が抱えているドラマの種を植えつけるための土台になるだけなのだ」

曾根崎心中・冥途の飛脚ほか

近松門左衛門「曾根崎心中・冥途の飛脚 他五篇」

掛詞などを多用した浄瑠璃の特殊な文体は、慣れない身には意味を掴みづらいが、流れるような詞の響きは現代の文学には存在しないもの。遊女に入れ上げて心中……なんて、しょうもない話だが、それでも最後の道行で泣けてしまう美しさがある。
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團十郎の歌舞伎案内

市川團十郎「團十郎の歌舞伎案内」

前半は初代からの團十郎の歴史、後半は芸能としての歌舞伎の概説。十二代目團十郎自身の歌舞伎観や先代との思い出も語られていて、単なる入門書にはとどまらない内容。歌舞伎と、能や人形浄瑠璃など歌舞伎へと続く芸能に対する深い敬意が感じられる。

團十郎こそが歌舞伎の歴史であるという自負と謙虚さを兼ね備えた生き方。掛詞をいかに現代に通じるものにするかなどの問題意識も綴られている。