歌右衛門の六十年 ―ひとつの昭和歌舞伎史

「歌右衛門の六十年 ―ひとつの昭和歌舞伎史」

舞台では歌舞伎の華やかな面を、舞台裏では激しい権力闘争の面を、2代にわたって体現した歌右衛門。

団菊左亡き後の梨園を牛耳った五世。師でもある吉右衛門とコンビを組み、その後は幸四郎、勘三郎と競い、やがて戦後の歌舞伎界に君臨した六世。愛という表現がそぐわないほど、当然のように芸の世界に生き、執着した。
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歌舞伎

戸部銀作「歌舞伎」

古本で見つけた83年刊の歌舞伎入門。歌舞伎の演出を手がけている著者だけあって、見せ方の細かな技術に触れているのが興味深い。足の使い方や声の出し方、舞台上での役に応じた立ち位置など、歌舞伎が歴史を重ねる中で様々な手法を磨いてきたことが分かる。
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鬼の復権

萩原秀三郎「鬼の復権」

能や様々な地域芸能、神事などに現れる「鬼」のイメージの考察に役立つかと思って手にとった一冊。

著者は地獄の獄卒や悪鬼ではない、仏教に取り込まれる以前の鬼のイメージを明らかにする狙いで「鬼の復権」という題を掲げているが、鬼籍という言葉など、現代でも鬼には単なる死者や亡者のイメージもある。死霊や来訪神などが鬼の原型と言われても、それほど驚きはない。むしろ、異界との通路となる戌亥の方角や、そうした世界観に対する大陸文化の影響などの考察が興味深かった。鬼が悪鬼のイメージに飛躍する瞬間を、大雑把な仮説でもいいからもっと読みたかった。

異界を旅する能 ワキという存在

安田登「異界を旅する能 ワキという存在」

能で、他の芸能と比較して特に際立つのがワキという存在。大抵は漂泊の旅をしていて、シテと出会う。その後はワキ座でほとんど動かず静止していることが多い。シテ=異界が舞台上に現れる触媒となるワキの存在を考察することは、そのまま能(夢幻能)という芸能の本質に迫ることになる。
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悲劇の名門 團十郎十二代

中川右介「悲劇の名門 團十郎十二代」

昔ほどには序列がはっきりしなくなっているが、歌舞伎における名跡はまさに地位そのもの。そのなかでも最高位の團十郎を、歴代がどう生きたのか。それは役者が河原乞食から高尚な伝統芸能の担い手になるまでの歌舞伎の歴史そのものでもあり、実力がはっきりと分かる芸の世界で生まれながらに最高位を生きることは、それだけで複雑な一生を全ての團十郎に強いてきた。九代目とその後の空白期間を経て團十郎も幹部役者の一人に落ち着いているが、十三代目は今後どうなっていくのだろう。

風姿花伝

「風姿花伝」

観阿弥の教え、世阿弥の書。

世阿弥は能の美を花に喩え、花を知るために種=技芸を知るよう説く。

「花のあるやうをしらざらんは、花さかぬ時の草木をあつめてみんがごとし」
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