抱擁

辻原登「抱擁」

2・26事件直後、侯爵邸で働く小間使いの語り手と、見えない“誰か”を見つめる5歳の令嬢。ゴシック趣味で舞台設定は良いのに、話が短すぎるからか、どこか物足りない印象が拭えなかった。ラストは余韻が残る。

被差別の食卓

上原善広「被差別の食卓」

フライドチキンからあぶらかすまで世界の“ソウルフード”を巡る旅。差別されているから、捨てられるものを使った料理を生み出す。忌避されるものを食べるから、差別される。新書だし、食べ歩きルポで内容的な深みはないけど、著者自身が被差別部落出身ということもあり、実体験を交えた語りが興味深い。興味本位ではなく、共感に満ちた内容。

古代ローマ人の24時間 −よみがえる帝都ローマの民衆生活

アルベルト・アンジェラ「古代ローマ人の24時間 −よみがえる帝都ローマの民衆生活」

古代ローマ人はどんな暮らしを送っていたのか。ローマの街並み、市場の喧噪、家々の作り、部屋の調度、人々の服装、髪型、夜の営み……旅番組のカメラが街中を散策していくように、夜明けから深夜までのローマの光景を描写していく。

中でもインスラ(集合住宅)の説明が興味深い。今から2000年前に既に現代のような生活が生まれ、何万棟もの高層住宅がひしめき合っていた。そのライフスタイルは、エネルギー源が電気か人力(奴隷)か以外にはほとんど違いが無いように思える。

テルマエ・ロマエの最高の副読本。かなり面白い。

阪急電車

有川浩「阪急電車」

阪急今津線が舞台の連作短篇。小さな出会い、別れ、恋の始まり……個々のエピソードはべったべただけど、爽やか。タイトルからはもっと関西色が強い小説かと思ったら、そんなことはなくて、どこにでもありそうな鉄道沿線の物語。通勤、通学、休日のお出かけ。電車が暮らしの中にある人、すべてにおすすめ。

日本のいちばん長い日

半藤和利「日本のいちばん長い日 ―運命の八月十五日」

「これより謹みて玉音をお送り申します」

“御聖断”が下った8月14日正午から終戦の詔書が放送される翌15日正午までの24時間。

戦争を終わらせ、玉音放送の準備に奔走する人々と、宮城を占拠し、クーデターを進める青年将校。“国体”をどう捉えるか。帝国がどのように最期を迎えたのか。史実の一解釈に過ぎないとしても、息が詰まるようなドキュメント。鈴木貫太郎首相のバランス感覚と、自刃する阿南惟幾陸相の潔さが特に印象的。

わたしが出会った殺人者たち

佐木隆三「わたしが出会った殺人者たち」

永山則夫、宮崎勤、麻原彰晃、宅間守…刑事裁判の傍聴を生業とし、幾多の犯罪小説を書いてきた著者の回想録。雑誌に連載したエッセイなので一篇一篇の内容はちょっと物足りないけど、著者と“殺人者”双方の人柄が伝わってきて興味深い。

どうしても、報道の向こう側にいる事件の関係者への想像力は欠けがちで、中でも加害者に思いを巡らすことは少ない。自らを小説にしてくれと持ちかけ、著者が喪主まで務めた山川一のエピソードが印象的。

唐草物語

澁澤龍彦「唐草物語」

藤原清衡、プリニウス、花山院、徐福…古今東西の故事、物語を換骨奪胎し、事実と空想が融け合う白日夢のような世界。作者=語り手が前面に出てきて、小説なのかエッセイなのかも分からない自由な語り口。知識が世界の広さ、奥行きだとしたら、博覧強記の人、澁澤龍彦には現実世界もこのように見えていたのかもしれない。

ドン・ファンの教え

カルロス・カスタネダ「ドン・ファンの教え」

ヤキ族の呪術についての民族誌の形をとりながら、完全なフィクションという指摘もある不思議な本。幻覚性植物の体験が延々と綴られ、読み終えると別の世界を見てきたようで、すーっとする。

それぞれの民族にとって世界は違った形をしている。時間の流れも、死と生の境目も、人間と非人間の区別も異なる世界がある。

ドン・ファンは、いかに“知者”になるかを説く。いかなる道も道にすぎず、知者は心ある道を行く。知者の4つの敵は、恐怖、明晰さ、力、老齢。その旅は死ぬまで終わることはない。